明智光秀と関連する寺……光秀の宗派は何だったのだろう?

明智光秀関係

明智光秀に関連する寺はたくさんあります。
墓所があったり、首塚があったり、世話になった寺があったり……
いくつかを紹介します。

比叡山延暦寺

光秀が信長の命令で焼いた説明不要の有名寺です。
日本における天台宗の総本山です。
僧侶養成学校のような寺でもあり、ここで修行してから宗派を興した僧侶がたくさんいます。

天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]
京都市と滋賀県大津市にまたがる天台宗総本山。「日本仏教の母」としての歴史と現在を紹介。

西教寺

滋賀県大津市坂本にある光秀および明智一族の墓所がある寺です。
起源は聖徳太子にまで遡るという説もありますが、比叡山で修行した真盛上人が室町時代に再興をしました。
天台真盛宗総本山で、天台宗系の寺となります。
比叡山焼き討ちの際に一緒に焼かれてしまいますが、焼き討ちのあと、光秀が坂本城主となった際に、光秀の尽力で再興。
光秀はこの寺の檀那となったとも言われています。
門のひとつは坂本城の門を移築したとも言われています。

--天台真盛宗総本山--  西教寺
滋賀県大津市の《天台真盛宗総本山 西教寺》は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)...

谷性寺

京都府亀岡市にある光秀の首塚がある寺です。
溝尾茂朝がこの寺に光秀の首を運んだという伝説があります。
創建は平安時代とも鎌倉時代とも言われています。
光秀寺とも呼ばれるほど、光秀とは縁が深く、光秀は当寺にある不動明王を信仰していたとも。
真言宗大覚寺派の寺です。
このサイトが詳しかったです。

京都・亀岡「谷性寺・ききょうの里」は明智光秀ゆかりの地 | 京都府 | LINEトラベルjp 旅行ガイド
京都府亀岡市は明智光秀の丹波平定の拠点となった町。その後、丹波は光秀の領国となり現在の町並みの礎を築きました。そんな亀岡に「光秀寺」と呼ばれる「谷性寺(こくしょうじ)」があります。明智光秀ゆかりの寺院で、初夏には「ききょうの里」として門前に広大な花畑が広がり、多くの観光客が訪れます。

称念寺

福井県坂井市にある寺で、光秀がこの寺の門前に住み、寺小屋を営んでいたという伝説があります。
新田義貞の墓所がある寺でもあり、光秀が土岐氏の出身というのが本当であれば、源氏の一族としてかなり意識した可能性はあります。
元々は白山信仰の寺があったようですが、光秀の時代には時宗の一遍上人が開基した寺となっていました。
有名な光秀の娘、ガラシャこと玉はこの地で生まれたとされています。

称念寺(しょうねんじ)福井県史跡 新田義貞公御墓所
称念寺(しょうねんじ)は福井県坂井市丸岡町にある、養老5年(721年)から続く歴史あるお寺です。南北朝時代の武士、新田義貞の遺骸が手厚く葬られ墓石が建てられています。

本徳寺

大阪府岸和田市にあり、日本で唯一、光秀の肖像画を所有している臨済宗妙心寺派の寺です。
この寺を開基した南国梵桂は光秀の長男、十五郎光慶だという説があります。
江戸時代に妻木氏や細川氏が檀那となり援助していることから、光秀との関係は相当に深いと思われます。
光秀の位牌があり、その裏には慶長4年(1599年)に当寺を開基したと書かれていて、肖像画には「仏門に入り去っていった」と書かれています。
このことから、光秀が1599年の時点でまだ生きていて、寺を開基したとも考えられ、光秀=天海上人説への根拠のひとつとされています。
このサイトが詳しかったです。

明智光秀唯一の肖像画 ~光秀と本徳寺とのつながり | 戦国ヒストリー

盛林寺

京都府宮津市にある曹洞宗の寺です。
細川家の元に(あるいは、ガラシャの元に)光秀の首が届けられたという伝説があり、供養塔が建てられています。

天龍寺

光秀の出身地として有力な岐阜県可児市瀬田にある曹洞宗の寺で、明智一族歴代の墓所と、180センチを超える光秀の大きな位牌があります。
明智城の城下にあたる場所にあります。

天龍寺 |可児市の観光スポット|明智光秀ゆかりの地
明智光秀生誕の地、可児市の「天龍寺 」をご紹介します。その他にも、岐阜県可児市には、グルメスポットや宿泊施設など観光に最適な施設がございます。

廬山寺

京都市上京区にある天台宗系の寺です。
元三大師と呼ばれるおみくじの起源を作った人物、良源が開基したとされる寺です。
比叡山焼き討ちの際、天台宗系の寺ということで、一緒に焼かれそうになりましたが、正親町天皇が明智光秀を通して信長に書簡を送り、阻止したという逸話があります。
その縁からか、明智光秀の念持仏(戦地などに持って行く携帯用の仏像)がこの寺に伝わっています。
年に数回、公開されるとのことです。
なお、その仏像は地蔵菩薩のようです。

天台圓淨宗 廬山寺公式HP
廬山寺(ろざんじ)は京都市上京区北之辺町にある天台系の単立仏教寺院。天台圓淨宗の本山。本尊は阿弥陀如来。紫式部の邸宅跡として知られる。 また、節分での「追儺式鬼法楽」は通称「鬼おどり」とよばれ、赤青黒の鬼に紅白の餅と豆を投げて悪霊退散を祈願する。重要文化財の木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像を初めとして、多くの文化財を所有。...

慈眼寺

京都市右京区にある曹洞宗の寺です。
黒塗りにされた光秀の坐像があります。
「くろみつ大雄尊」と呼ばれているそうです。
黒塗りになったのは、逆賊の汚名を着せられたからだと言われていますが、地元の人たちが丹波に善政を敷いた存在として、密かに祀って来たとのことです。
本徳寺にある光秀の肖像画は温和な表情ですが、この寺にある坐像は鋭い眼光なのが特徴的です。
ちなみに光秀と同一人物という説がある天海上人は「慈眼」大師とも呼ばれています。

http://jigenji.kyoto/

大徳寺および南禅寺

大徳寺は京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山です。
南禅寺は京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の大本山で、日本の禅寺における最高の格式を持つ寺です。
光秀は母の菩提を弔うため、黄金千枚を寄進して大徳寺に明智門と呼ばれる門を建立しました。
それは本能寺の変が起こった天正10年のこととされています。
(本能寺の変のあと、銀100枚を大徳寺に寄進したので、後に光秀の冥福を祈るために作られたという説もあるようです。)
その門は明治時代に南禅寺内の金地院に移築されたとされています。
興味深いのは、金地院というのは、徳川家康のブレーンとして、黒衣の宰相と呼ばれた金地院(以心)崇伝がらみの寺ですが、崇伝は家康の死後、家康を祀る形式について、南光坊天海と争った人物であるということです。
先述したように南光坊天海は明智光秀と同一人物とも言われる人物です。
このことを移築した者がわかってやっているのなら、意味深だなと思いました。
これらのサイトが詳しかったです。

京都発! ふらっとトラベル研究所|光秀ゆかりの「明智門」は、ほかの門とともに移動した
きっと、みつかる。ちょっと「通」な京都の旅。
明智門

南泉寺

岐阜県山県市にある臨済宗妙心寺派の寺で、土岐氏の菩提寺に当たります。
光秀が土岐氏の出身なら、関連しそうではありますが……

最後に

宣教師ルイス・フロイスは光秀のことを「悪魔とその偶像の大いなる友」と書き残しています。
キリスト教から見れば、仏教は邪教だったということでしょうか。
なお、光秀と同一人物という説のある天海上人は天台宗を信仰していました。
天海上人開基の東の比叡山、上野寛永寺は天台宗の寺です。
光秀関連の寺を見ると、天台宗、曹洞宗、臨済宗に関係する寺が多いようです。
曹洞宗も臨済宗も禅宗の一派となります。
曹洞宗は民衆に、臨済宗は武家によく伝わったとされています。
ただ、曹洞宗の開祖道元も、臨済宗の開祖栄西も、比叡山で修行した人物です。
結局、日本の仏教は天台宗か真言宗かが始まりと言えるわけで、光秀も広い意味で天台宗を信仰していたと考えるのが自然でしょうか。
もしかすると、出自によっては、曹洞宗か臨済宗のどちらかに傾倒していたかもしれません。
比叡山焼き討ちの際、積極的に行動したとされる光秀ですが、それはもしかすると、腐敗していた当時の天台宗を嘆いてのものかもしれませんね。

※随時、新情報があれば訂正します。

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