どうして狐は稲荷神社の使いなのか?油揚げが好物なのはなぜ?

地理・歴史系
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京都にある伏見稲荷神社を総本山とし、全国には3万以上の社があるとされる稲荷神社。
どうしてこんなに信仰されているのでしょうか?

また、稲荷神社の使いといえば狐であることが有名ですが、なぜ、狐が使いなのでしょうか?

狐の好物が油揚げなのはなぜなのでしょうか?
諸説あるようですが、以下に有力な説を記します。

稲荷神社の神様は御食津神(みけつかみ)

稲荷神社の祭神は、稲荷大神と言われていますが、これはウカノミタマを中心とする4柱ほどの神様を合わせたものだと言われています。

食べ物を授ける御食津神(みけつかみ)と呼ばれる神様です。
伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大御神(とようけのおおみかみ)も御食津神として有名です。

この御食津神の「けつ」という部分が関西弁で狐を「けつね」と呼んだこととつながり、稲荷神社の使いは狐ということになりました。

狐は田畑や蔵を荒らすネズミなどの害獣を退治してくれる存在だったので、ありがたい存在でもあったわけです。

狐の好物は油揚げとされていて、お供えされていますが、あれはネズミの代用品です。
なかなかネズミを捕まえてお供えするのは難しいので、油揚げで代用されたのです。

余談ですが、助六という寿司のセットには、いなり寿司と巻き寿司が入っていますが、あれは歌舞伎の演目に「助六」という作品があり、ヒロインの名前が「あげまき」というところから来ています。
油揚げの「あげ」と巻き寿司の「まき」というわけです。

油揚げで巻いた寿司をいなり寿司と呼ぶのは、もちろん稲荷神社と狐との関係が由来です。

元々は製鉄の神様だった?

稲荷神社は元々製鉄の神だったという説もあります。
「稲荷」は、元々「鋳成り」と書いたのではないかと言われています。

製鉄の神さまから農耕の神さまとなったのは、製鉄の発達により道具が作られ、作物がたくさんとれるようになったからとも、農耕を中心とする勢力が製鉄を中心としていた勢力を駆逐したからとも言われています。

事実、伏見稲荷神社の周囲には古代、鉄が取れたと言われています。

稲荷神社が信仰される理由のひとつとして、「鋳成り(いなり)」という言葉が、物事が達成でき、願いが叶うというふうに捉えられたからではないかと言われています。

狐は遊女も表す?

狐はかつて「来つ寝」とも書き、遊女を表したとも言われています。
狐が人を化かすというのも、暗にこのことを示しているわけです。

陰陽師、安倍晴明の母は九尾の狐であったとされています。
遊女だったか、あるいは貴族から人間扱いされなかった身分の女性だったと推測されます。

狐に限らず、河童や天狗、土蜘蛛などといった存在も、貴族たちから人間扱いされなかった人々の集団です。

ちなみに猿田彦という交通安全のご利益で有名な神様がいますが、その使いは蛙です。

交通安全の神様なので、「蛙」と「帰る」をかけているとも言われていますが、「川衆」を「かわず」と読んだのが実際のところであるようです。
文字通り、川の近くに住んでいた人々のことです。

当時、人間といえば、貴族たちだけであったのです。
安倍晴明は式神と呼ばれる存在を操ったという伝承がありますが、要は人間扱いされていなかった者たちと交流があったか、部下にしていたということでしょう。

なお、統計によると、平安時代、殿上人と呼ばれる五位以上の貴族は150人程度しかいなかったと言われています。

「人口」という言い方をすると、当時の考えでは、「人間」は150人しかいなかったということになるのでしょうか。

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