ジミー大西の最初の師匠は誰?最初に野球選手のものまねをしたのはさんま?

芸能系
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長い伝統が続く、上方芸能。

要するに大阪を中心とする関西のお笑いなわけですが、いくつか小ネタを紹介します(文中敬称略)。

上方漫才における横山姓は地名由来

横山エンタツを祖とし、横山ノック→横山やすし→横山たかし・ひろしなどへと受け継がれている上方漫才の大名跡「横山」姓。

これは、初代である横山エンタツの出身地が兵庫県三田市横山町だったことが由来です。

横山エンタツ自身の本当の名字は石田です。

横山エンタツは花菱アチャコとともに「エンタツ・アチャコ」のコンビで一世を風靡した漫才師です。

ふたりが演じた「早慶戦」というネタが初のしゃべくり漫才を言われています。

それまで漫才というものは太鼓や笛を演奏しながら、合間に面白いことをしゃべる芸でしたが、しゃべりの部分だけを抜き出して完成させたのがエンタツ・アチャコのふたりです(いとし・こいしという説もあり)。

横山ノックや横山やすしは説明不要でしょう。

ちなみにノコギリをマリンバで叩いて「おまえはアホか~♪」と聴かせるギャグで有名な「横山ホットブラザーズ」の横山は本名で、横山一門と師弟関係はありません。

横山ホットブラザーズは実の兄弟で、昔は父親もメンバーでした。

父親の横山東六は芸達者な人で、ハーモニカを弾きながら、皿回しをするなんて器用な芸をしていました。

テレビに出ているのは三人(アキラ、マコト、セツオ)ですが、実際はもう何人か兄弟がいます。

舞台上では「長男」「次男」「三男」と呼び合っていますが、それは便宜上で、実際、他にも兄弟がいます。

ジミー大西は元々、ぼんちおさむの弟子

タレントに画家にとマルチに活躍するジミー大西は、現在、明石家さんまの弟子扱いになっています。

ですが、元々は漫才コンビ「ザ・ぼんち」のおさむの弟子です。

「おさむちゃんでーす!」のギャグで有名な方です。

師匠が俳優活動などに力を入れ出したので、さんま預かりになりました。

さんまから運転手をしないかと誘われたのがきっかけです。

しかし、筆記試験に何度も落ち、免許を取るまで半年以上かかったという逸話があります。

ジミー大西は少し頭が足りないキャラで売っていたので、一時期、母校からテレビで出身校を言わないでくれと頼まれていたという逸話もあります。

実際、高校へはスポーツ推薦(野球)で入ったそうですが、監督の出す複雑なサインに頭がついていけなかったとか。

「出身校を言わないでくれ」という話をテレビで披露したとき、「そんなもん言うたれ!」と、さんまが激怒しているシーンを見たことがあります。

ちなみに出身高校は大商大堺高校です。

ジミー大西のキャラについて、これを芸でやっているならすごい才能だと欽ちゃんこと萩本欽一が注目し、面談をしたことがあります。

しかし、「天然だった」とがっかりしたとか。

このときのひとことが少し頭の足りないキャラの人に対して「天然」と呼ぶ始まりとされています。

また、ジミー大西と一緒に活動することが多いすべり芸の達人村上ショージもさんまの弟子だと思われていますが、元々は漫談家、滝あきらの弟子です。

滝あきらという人はボソボソとした話し方で艶話や風刺漫談をする芸人で、あまり有名ではないのですが、ほかの芸人にいじられることが多い人で、月亭八方ややしきたかじんの番組にゲストとして見かけることがありました。

村上ショージは瀬戸内海に浮かぶ伊予大島の出身です。

このあたりは村上水軍が活躍した場所で、自身はその末裔を自称しています。

ちなみに兄弟子には、後にホテルでコメディタッチの芝居を見せて、参加者に謎解きをさせるミステリーナイトという企画を成功させた九十九一がいます。

九十九一はお笑いスター誕生で10週連続勝ち抜きをしたことでも知られている人です。

滝あきらの弟子だった時代は「滝シード」という芸名を名乗っていました。

プロ野球選手の形態模写を始めたのは誰か?

最近はあまり見かけませんが、プロ野球が国民的人気だった時代は、プロ野球選手のものまねが人気でした。

個性的な投げ方や打撃フォームの選手はこぞって真似をされました。

特に巨人に在籍したクロマティあたりは人気でした。

この形態模写を誰が最初に始めたかについては、諸説ありますが、明石家さんまが行った小林繁のものまねが最初だと言われています。

小林繁は空白の一日事件で江川卓と交代で阪神にトレードされることになった悲劇の投手です。

さんま自身も自分が最初だと自称しています。

さんまが有名になるきっかけとなるネタでもありました。

今ではサッカー好きで知られるさんまですが、元々は野球好きだったとか。

しかし、坊主頭になるのが嫌で野球からサッカーに乗り換えたと語っています。

中田カウス・ボタンの借金に関する逸話

今や大御所となった漫才コンビ中田カウス・ボタン。

若手時代は初めてスーツ姿ではなく、カジュアルな服装で舞台に出演し、アイドル並みの人気があったコンビでした。

近年はボタンに関する愛人ネタや犯罪ネタが多くなっていますが、昔はボタンの借金ネタが定番でした。

借金を背負っていたのは事実ですが、完済した後もネタのために借金をするほど徹底していたとのこと。

しかし、実は借金問題で揉めたのはボタンだけでなく、カウスの方もそうで、借金問題が発覚して一時芸能活動を自粛した時期があります。

ボタンは賭博に参加して逮捕され謹慎するなど、悪い人のイメージがありますが、カウスの方も後に黒い交際疑惑が出るなど決して愛嬌のあるおじさんというわけではなさそうです。

余談ですが、吉本新喜劇の座員でポットに似ているので有名な帯谷孝史も、借金問題で無期限謹慎処分を受けた時期があります。

帯谷孝史はサングラスをかけるとやしきたかじんにも似ていたので、一度、番組の企画で街角で何人に間違えられるか実験されたことがあります。

結果、かなりの人に間違えられていました。

昭和の時代は破天荒な芸人が多かったですね。

岡村隆史と池乃めだかは誕生日が同じ

小柄な男性タレントといえば、関西ではナインティナインの岡村隆史と吉本新喜劇の池乃めだかが有名です。

奇しくもふたりの誕生日は7月3日で同じです。

ちなみに気になる身長ですが、公式プロフィールによると、池乃めだかが149センチ、岡村隆史は156センチで、岡村の方が7センチほど高いです。

はな寛太・いま寛大は「いとし・こいし」を継ぐはずだった?

「漫才の教科書」と呼ばれた名人「夢路いとし・喜味こいし」の弟子といえば、公式には桑原和男だけです。

しかし、「ちょっと待ってね」のギャグで知られる「はな寛太・いま寛大」のふたりは一時期指導を受けていて、いとし・こいしを師匠と慕っていました。

夢路いとしが亡くなったあと、喜味こいしは「いとし・こいし」の名を一代限りで終わらせるつもりがなかったので、このふたり
に二代目として襲名させようとしていました。

しかし、はな寛太が病気で亡くなったため、残念ながらこの話は立ち消えとなりました。

「アホの坂田」のレコードはヒットしている。

坂田利夫のテーマソングとして知られるキダ・タロー作曲の名曲「アホの坂田」。

歌っているのは相方の前田五郎です。

「メキシカン・ハット・ダンス」のメロディのオマージュであることが、関西の有名番組「探偵ナイトスクープ」にて明らかにされた曲ですが、実はこの曲、当時5万枚以上を売り上げていて、さらなる売上も期待されていました。

しかし、坂田という名字を持つ子供がいじめられるという抗議が大阪府教育委員会を通じてあり、泣く泣く廃盤になったと言われています。

今は坂田利夫登場時のBGMとして使用されています。

ちなみにアホで売っている坂田利夫ですが、学業成績が良かったのは有名で、私生活でアホネタを振るのは厳禁だとか。

横山たかし・ひろしのホラ吹き漫才の始まりは?

金ピカ衣装を着て、大金持ちのおぼっちゃまキャラを作ってネタにしていた「横山たかし・ひろし」のホラ吹き漫才。

この漫才ネタは藤圭子がデビューしたとき、こんな美人が愛人だったらいいなと思ったのがきっかけです。

「すまんのー」「つらいのー」というギャグは、師匠である横山やすしに殴られまくった経験から来ているとか。

独特のイントネーションは、故郷の愛媛弁です。

ただ、ホラ吹き漫才の第一人者だけに、話を盛っている可能性はもちろんあります。

横山たかしは奥さんに逃げられたこともネタにしていましたが、後に大きな賞を取った際、奥さんがサプライズ出演をして、花束贈呈をしています。

小説「火花」にあるフレーズの元ネタ

又吉直樹のベストセラー小説「火花」。

芥川賞を受賞した名作ですが、その小説の中に主人公と先輩芸人との間に次のようなやりとりがあります。

「おまえ、今日何食べたい?」
「鍋、ですかね」
「鍋? 丈夫な歯してんな」
「なんでやねん!」

このやりとりの元ネタは夢路いとし・喜味こいしの漫才です。

オマージュだと思われます。

ちなみに中田カウス・ボタンが使う「グチャグチャで思い出したが、君の奥さん元気?」というフリも、いとしこいしのネタが元です。

カウス・ボタンのふたりはいとしこいしの漫才をよく研究していたとか。

そして、そのカウス・ボタンの漫才を舞台袖で研究し、ツッコミの練習をしたのが、ダウンタウンの浜田です。

三組が対談した番組で浜田が語っています。

その映像はYou Tubeで見られます。


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