吉本新喜劇の東京進出
関西人にはおなじみの吉本新喜劇。
今も土曜の昼間にテレビ中継されています。
まだ土曜日に半日学校があった時代などは、帰宅したら、昼食を摂りながら吉本新喜劇というのが、関西の子どもの定番でした。
その吉本新喜劇が、20世紀の終わりの頃(1997年)、東京進出に挑戦したことがあります。
「超!よしもと新喜劇」のタイトルで発表されたその番組は、東京はTBSのスタジオで撮影されました。
派手な番組宣伝が行われ、当時、東京キー局で放送される情報番組の類に吉本新喜劇のメンバーがかなり出演していたことを覚えています。
しかし、派手な宣伝が行われた割に、最初の数回こそ大阪で20%超えの高視聴率を取ったものの、東京では10%にも届きませんでした。
それどころか、内容について大阪を初めとする関西人の怒りを買い、そのうち関西でも相手にされなくなりました。
なぜ、関西人の怒りを買ったのか?
なぜ、怒りを買ったのか……
簡単に言えば、東京の人間に合わせようと、関西特有のクドいと言ってもいい演出を避け、東京向けに内容を薄めたからです。
お好み焼きをおかずにして食べる大阪特有の濃さ(コテコテと呼ばれるもの)に例えられるマンネリでも面白いギャグ、ひたすら続くドタバタ……
これが、そのまま東京でウケるとは考えられなかったようです。
そこで、当時、東京に進出していた吉本芸人(ダウンタウンや今田耕司、東野幸治など)が動員されました。
彼らは関西でも実績がある芸人であり、特に東野幸治あたりは新喜劇に出演していた経験もあることから、まだ許されました。
しかし、初めから東京で活動している吉本芸人(ロンブーやDonDokoDonなど)や、そもそも吉本とは関係がない他事務所のタレントが多数出演するようになりました。
彼らが吉本新喜劇独特のテンポや間を理解していたわけがなく、内容もグダグダで、元々の吉本新喜劇を知っている者としては、とても笑えるような内容ではありませんでした。
どういう経緯で、誰が主導したのかはわかりませんが、TBS側はかつてのドリフの「全員集合」のような番組を作りたいという意図があったようです。
そのため、予算は潤沢にあり、豪華ゲストを呼んだり、大掛かりなセットを組むことはできました。
ですが、肝心のテンポや間がまるで駄目で、関西の人間から見れば「なんじゃこりゃ?」というひどい内容でした。
関東、特に東京の人間から見れば「大阪の笑いなんてこんなもんか」と判断されるような中途半端な中身になっていました。
この番組は関西人の誇りを傷付けてしまった。
関西、特に大阪の人間が気に入らないのは、「東京モンに媚びること」です。
これは豊臣家が徳川家に負けて以来の伝統です。
阪神タイガースが読売ジャイアンツにだけムキになって戦うのと同じです。
文化ではこちらが上だという自負を持っている大阪の人間は、東京の人間から馬鹿にされることを嫌います。
ましてや、媚びたとなるとなおさらです。
吉本新喜劇は禁断の手段を使い、大阪の人間のプライドを傷つけてしまいました。
しかも、団員の主力数名が、毎週、東京の収録に引っ張られてしまうため、肝心の大阪での舞台の質が落ちてしまうという有様でした。
さすがにこれではまずいと思ったのか、TBS側から切られたのかどうかはわかりませんが、番組は半年ほどで終了してしまいました。
一部の団員たちも、未だにあのときのやり方は失敗だったと語っているそうです。
しかし、今でも思います。
初めから、東京に媚びず、コテコテの吉本新喜劇が進出していたらどうなっていたのか?
最初は拒絶されるかもしれませんが、そのうちクセになる人間が現れて、じわじわと人気が出て行ったのではなかったのではないかと。
単に大阪で演じられている新喜劇の舞台を東京でも放送するだけで良かったのでは?
関西人の端くれとして、吉本新喜劇の面白さがあの程度だと未だに思われていたら、残念でしかありません。
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