日本で世界に通じる映像作家、監督といえば誰が思い浮かぶでしょうか?
黒澤明? 小津安二郎? 宮崎駿?
もうひとり、大事な監督を忘れていませんか?
そう、「AVの帝王」とも呼ばれる村西とおる監督です。
表題の本「全裸監督」を読みました。
この本の記述を元に、村西とおる監督に関する雑学を紹介します(文中:敬称略)。
村西とおる略歴
本名:草野博美
1948年9月9日、福島県平市(現:いわき市)生まれ。
福島県立勿来工業高校卒業。
本名の博美については、父親が役所の戸籍係につけてもらったという逸話があります。
まだ生まれていないため、男か女かわからなかったので、どちらでも使える名前になったそうです。
なお、村西とおるという芸名(?)について、「村西」はお世話になったクリスタル映像社長の西村という人物の名前を反対にしたものです。
「とおる」という名前は、名前が世の中にとおるという意味で付けられました。
家族は父母と姉ふたり。
父は元々、国鉄で働いていましたが、ひと山当てようと起業。
傘を修理する行商を始めました。
当時、こうもり傘は高価な商品だったので修理して使われていたようです。
しかし、この商売は儲からず、貧しい少年時代を過ごしたと言われています。
幼い頃、小学校が山の麓にあり、ガキ大将からマラソンを強要され、上り下りで体力が鍛えられたとか。
また、中学では水泳部、高校ではラグビー部に所属していました。
後につながる体力を鍛えた時代だったとのこと。
勉強のほうは数学はかろうじてできたものの、英語が苦手だったそうです。
ですが、読書家ではあったとのことで、三島由紀夫やドストエフスキーなどが好きだったとか。
高校の成績はさんざんだったそうですが、学校中の掃除をすることで卒業させてもらえたという逸話があります。
初体験は13歳
13歳の頃、自慰行為を覚え、さらには父母の夫婦の営みを目撃。
急速に性の目覚めが訪れます。
中学一年生の夏休み、同級生の妹(当時小学六年生)と月光仮面の映画を見に行った帰り、自宅の離れにある小屋でついに初体験。
挿入するまでに6回イッたと本人は語っています。
中学卒業までその女性とは200回ほど性交をしたとのこと。
後にまで続く絶倫ぶりが伺えます。
なお、「足の付け根」「秘密基地」を見た女性は約7,000人であるそうです。
村西とおるの職歴
数多くの事業を手掛け、成功も失敗も繰り返しておられます。
職歴は以下のとおりです。
・高卒後、上京。バー「どん底」で働く
・百科事典のセールスマン(売上全国トップの成績)
・テレビゲームの納入業者(自衛隊基地の売店に設置し、大儲け)
・英会話教室経営
・ビニ本、裏本の販売(北大神田書店グループの会長となり巨額の富を得る。しかし、逮捕され会社は解散)
・AV監督(帝王と呼ばれるも逮捕数回)
・蕎麦屋経営
・タオル販売
・ブログやツイッターでのコンテンツ業
・それらに伴うタレント業
※AV監督以降は兼業していると言っていい状態です。
一時は借金50億を抱えますが、2013年に完済されています。
なお、借金50億の原因はダイヤモンド映像という会社を経営していた際、「空からスケベが降ってくる」という触れ込みで衛星放送事業に投資をしたものの、失敗したことが大きいそうです。
結婚は三回
最初の結婚は21歳のとき。
相手は丸井でエレベーターガールをしていた女性です。
色白で少しぽっちゃりとした村西好みの女性だったとか。
しかし、仕事で日本中を飛び回っている間に近所の公務員男性と浮気をしたことがわかり離婚。
二回目の結婚は25歳のとき、英会話学校経営時代の秘書とします。
この結婚は裏本作成によって逮捕されたのがきっかけで破綻します。
三回目の結婚は46歳のとき。
相手は所属女優の乃木真梨子です。
村西側が惚れ込んで結婚したとか。
前科7犯の内容は?
「前科7犯、借金50億」が枕詞になる村西とおるですが、その内容は以下のとおりです。
1)1984年 猥褻図画販売の罪(逃亡したので指名手配されてもいます)
2)1986年 海外からポルノを税関審査手続きを経ず輸入。関税定率法違反で摘発
3)1986年 無許可モデル事務所からモデルを派遣させ職業安定法違反および17歳少女をAV出演させた児童福祉法違反
4)1986年 ハワイで旅券法違反などでFBIに逮捕される。以前からマークされていた模様。懲役370年を求刑される。
5)1988年 17歳少女をAV出演させた児童福祉法違反
6)1988年 16歳少女をAV出演させた児童福祉法違反
7)1998年 セルビデオを大量生産している際、労働大臣認可の免許出演者を紹介したという職業安定法違反で逮捕
未成年少女のAV出演については、相手側が姉の健康保険証などを見せて年齢をごまかしたという側面もあります。
昔は警察とズブズブで月に600万円の付け届けをして捜査が入る日などを教えてもらっていました。
それだけに最初の逮捕は信じられなかったとのこと(だから逃げた?)。
なお、摘発はされたものの、警察が裏本を見て「いい出来だ」と褒めてくれたという逸話があります。
初めて逮捕されたとき、母と姉が面会に来たのですが、「こんなバカ息子死刑にしてやってください!」と母親は泣いていたとか。
子供の頃、村西は「前科4犯」の意味がわからず、父親に尋ねたところ、「人間のクズのことだ」と言われたそうです。
「前科7犯になった自分はあの世で父に合わす顔がない」とよくネタにしています。
怖い人だった?
勢いに乗ると止まらない体質らしく、全盛期には6年間仕事を休まず、睡眠時間も削り、一日に何本も撮影していました。
それはスタッフも同じで、着いて行けずにすぐに辞める者が続出したとか。
撮影に妥協しない村西は、現場では鬼監督で、スタッフ数人は何度も殴る蹴る、暴言を浴びるなどの被害を受けました。
そのため、採用してもすぐに逃げ出すスタッフが多数だったとか。
はじめは酷評されていた?
後に帝王と呼ばれる村西も、AV監督進出直後は作品を酷評されてばかりでした。
しかし、皮肉にも何度も逮捕されるうちに村西監督作品は過激で面白いという評判が広まることになり、売れ出すようになりました。
「ナイスですね」「ゴージャス」「ファンタスティック」などという言葉が世の中の男性諸氏間で飛び交うことになります。
「ハメ撮り」「顔面シャワー」「駅弁」なども話題となりました。
AVの世界に初めて笑いの要素を持ち込んだ人物としてメディアなどにもたびたび出演します。
その評価を確定させたのが黒木香主演の「SMぽいの好き」という作品です。
この作品は数多くの文化人からも褒められ、世間からも高評価を受けます。
有名なアイテム、感じたときに吹く「ほら貝」も登場しています。
黒木香は当時、有名大学で美術の理論を学んでいた大学生でした。
非常に知的で流暢な話し方をする女性でもあり、一躍メディアからも注目されます。
村西は後に「黒木香の登場で、日本人女性が性のことをおおっぴらに話せるようになった」と絶賛しています。
なお、黒木香は1994年ホテルから転落した際、自殺を図ったと一部で報道されましたが、酒に酔って転落したのが真実であるということです。
ジャニーズ事務所との確執
とある女優を撮影した際、「私、トシちゃん(田原俊彦)と寝たことがある」と告白しました。
悪ノリが好きな村西はそのときのことを再現した「ありがとうトシちゃん」なる作品を発表。
それをテレビ番組が紹介したところ、ジャニーズ側から圧力がかかり、番組担当ディレクターふたりがクビに。
弔い合戦をしなければと考えた村西は写真週刊誌などを巻き込み、ジャニーズと全面対決。
小学館の会議室でジャニーズ事務所幹部およびトシちゃん本人、ファン数人と口論になる対決を行っています。
なおも収まらない村西は「ジャニーズ事務所マル秘情報探偵局」を開設。
専用電話回線を引き、ジャニーズのスキャンダルに対する情報をくれた人に賞金を提供するという手段に出ます。
ほとんどがいたずらやジャニーズファンからの罵声だったようですが、その中で元フォーリーブスの北公次がジャニー社長といい仲だったという情報を手に入れます。
当時、覚醒剤の使用で逮捕され、隠遁生活を送っていた彼を村西は全面支援すると申し出て暴露本を書かせ、ベストセラーにしています。
後にジャニー喜多川氏の性加害が問題となった際、このときのいきさつが報道番組などで取り上げられています。
政界進出を目論んだ?
1988年「日本ナイス党」なる政党を立ち上げ、次の参議院選挙に出馬すると宣言。
しかし、直後に三度目の逮捕を受け、取りやめとなります。
ブリーフ一枚の姿で「日本ナイス党」のたすきをかけ、バイブレーターをマイク代わりにしてメディアに登場したのが、当局側を刺激した面もあったようです。
息子が超名門難関私立小学校に合格?
自身は大変奔放な生活をしている村西ですが、実は三度目の妻との間に生まれた息子は、超名門難関私立小学校に合格しています。
このことが明るみになった際、各出版社から合格秘話、子育て論を本にしないかという声が殺到します。
しかし、「俺は息子をネタに飯を食うつもりはない」ときっぱりと拒否しています。
当時、借金まみれで生活が苦しかった時期のようですが、それだけはかたくなに守りました。
再生させようとした有名人たち
自身と重なり合わせるのか、話題性を狙ってか、村西は脛に傷を持つ人物を起用しました。
先述した北公次、パリ人肉事件の佐川一政、クスリで何度も捕まっている清水健太郎、殺人事件をおこした克美しげる……
自身と合わせると一体、前科何犯となるのかとも話題にもなりました。
余命宣告を受ける
2012年、心臓病で緊急入院。
医者から一週間以内に死ぬ確率100%とまで言われますが、手術の結果、奇跡的に一命をとりとめます。
最後に・現在も活躍中
2013年以降は本業(?)のAV制作は少し休み、ツイッターやブログで自分の意見を発表するコンテンツ業を中心に活躍しています。
幼い頃の辛い貧乏体験があるため、コロナウイルスを恐れての経済封鎖対策に一貫して反対されています。
「コロナより、インフルエンザで死んでいる人間のほうがよっぽど多い」
「コロナは風邪の一種、極度に恐れる必要はない。貧乏によって自殺者が増えることのほうが問題だ」
という主旨の内容をツイッターで発信されています。
また、講演会の依頼なども殺到して、全国を飛び回っており、各種グッズ販売も行っています。
「全裸監督」はNetflixでドラマ化され、話題となりました。
何度目かの注目を浴びている状態です。
浮き沈みの激しいジェットコースターのような人生。
しかし、前科7犯、借金50億の自分でも、このように生きているのだからがんばれ、というメッセージを常に世間に送っています。
「人間、苦しいときは下を見ろ。まだ俺がいる」
近年、村西とおるがあちこちで語っている名言です。
ナイスですね。
<参考文献>
本の内容については、以下のページで紹介しています。
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