ビートたけしに関する雑学 首をコキコキ揺らすのはなぜ?

芸能系
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お笑いビッグ3のひとりと言われ、映画監督としても数々の栄誉に輝くなど、日本芸能史に確実に名を残すビートたけし。

最近は離婚や再婚のことばかりが話題になっていますが、いくつかの著書から得た雑学を紹介させていただきます。
(文中・敬称略)

ビートたけしの家族構成など

1947年1月18日生まれ。
東京都足立区出身。

生まれたのは浅草で、幼少期に足立区へ引っ越したという説もあります。

父は菊次郎、母はさき。
五人兄弟の末っ子です。

長男は重一、東京工業大学出身。
長女は安子、あまりメディアには登場しません。
次男は勝、この方は幼くして亡くなっています。
三男は大、この方はテレビにもよく出演していたので有名ですね。

あと、ドラマなどでも有名ですが、うしという名前の祖母も一緒に住んでいました。
うしは竹本八重子という芸名で娘義太夫の先生でもありました。

母のさきは当初、うしの息子である徳次郎という男性と一緒になる予定でしたが、徳次郎が挙式直前に死亡。
そこで、さきを養子縁組。
さらに別に養子縁組していた、うしから見て甥に当たる菊次郎と結婚させたという複雑な関係でもあります。

最初の妻は幹子。
元々は関西で活躍する漫才師でした。

ふたりの間には篤と井子という子供がいて、特に井子は一時期、歌手としても活動していました。
井子の子供はたけしの養子になっていると言われています。

2020年に18歳年下の女性と再婚。
あと、元愛人との間にひとり子供がいるという説があります。

ビートたけしの師匠は誰?

ビートたけしの師匠と呼べる人は何人かいます。

まずは、夫婦漫才の松鶴家千代若・千代菊師匠です。
しかし、これは当時漫才をしようとすると誰かの弟子になっていないと活動がしにくい時代だったらしく、人柄が良くて断らない二人に頼んで弟子という形にしてもらったということです。

そのため、技術的に特に学んだことはないという話です。
なお、この頃は松鶴家次郎と名乗っていたそうです。

相方のビートきよし(本名兼子二郎)は松鶴家二郎(にろう)。
つまり「松鶴家二郎・次郎」と名乗るコンビだったとのことです。

ただし、松鶴家千代若・千代菊の弟子である松鶴家千とせは「ツービートは俺の弟子で、ツービートと名付けたのも俺だ」と証言しています。

その後、相方のビートきよしがコロムビアトップ・ライトのライト師匠のカバン持ちをしていた関係で、「空たかし・きよし」と名乗って活動していた時期があります。

トップ・ライトの弟子は普通「青空」を名乗るのですが、片方の弟子だったので、「空」になったとか。
ビートきよしはこのとき付けてもらった「きよし」の名前を今も使っています。

芸の上での師匠は、浅草フランス座の重鎮、深見千三郎だということです。

大学にもろくに行かずブラブラとしていた時期、浅草フランス座でエレベータボーイのバイトをしていたところ声をかけられ、以後は目をかけてもらったとか。

タップダンスやらコントにおける間のとり方、日常生活でも芸人らしくしていろ、というようなことを教わったと伝わっています。

深見は口癖が「バカヤロー」であったそうで、たけしにも、それが受け継がれています。

昔を知る人は、たけしの芸風が深見に似ていると語っているそうです。

ちなみに「ダンカン、バカヤロー」というのは、松村邦洋が作ったネタです。

※たけし軍団に関する雑学は以下をどうぞ。

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ビートたけしが首をコキコキと揺らすのはなぜ?

ビートたけしが首をコキコキと揺らすのは、ものまねでもよく真似されるクセですが、若い頃、テレビ番組でトランポリンをしながら漫才をさせられたときに首をケガしたのが原因と本人は語っています。

以後違和感が残ったままになっているから、クセになってしまったとのこと。

しかし、相方のビートきよしは違うことを言っていて、「あれは神経質なたけしが緊張したときに出る癖だ」と著書に書いています。
どちらが真相なのかは不明です。

ビートきよしの連絡先を知らない?

ビートきよしの著書によると、ふたりは互いの連絡先を知らず、会うときはマネージャーを通じて会うということです。

たけし曰く、「きよしさんは胡散臭い人だけど、どこかから仕事を取ってくることに関しては上手だった」とのことです。

伝説のクソゲーたけしの挑戦状について

不条理だった伝説のゲーム「たけしの挑戦状」。

クソゲーの代表格と呼ばれるゲームで、当時の少年少女たちを絶望に叩き落としたゲームですが、ビートたけし一流のギャグを知るようになると、結構笑えるゲームでもあります。

例えば、ゲームの後半、乗り物を操作して、島に着陸するというイベントがあります。

操作性が悪く、かなり難易度の高いイベントですが、ここで、目的の島を飛び越えて行き過ぎてしまうと、最終的に共産主義国家に辿り着いて、ミサイルで撃墜されるというブラックなオチが待っています。

宝の地図を水に浸し1時間待つというイベントでは、マイクに息を吹きかける裏技を使わないかぎり、本当に1時間待たないといけないという恐ろしいゲームでした。

なお、このゲーム発売日の前日が有名なフライデー襲撃事件の日で、ゲームは発売はされたもののCMは打ち切られてしまいました。

当初、発売元のタイトー社はビートたけしの名前だけ貸してもらえればいいか程度に考えていたそうですが、たけし側がゲーム開発に興味を持って乗り気だったらしく、最終的にこういう形になったそうです。

フライデー襲撃事件について

世間を騒がせた、ビートたけしと軍団によるフライデー襲撃事件。

当時、たけしと交際していた専門学校生にフライデーの契約社員がしつこく絡んで取材し、ケガまでさせたのが発端だとされています。

ですが、それ以前からたけしの家族に対してしつこい取材があったらしく、かなり不満を持っていたそうです。

当初、たけし側は暴力をふるうつもりはなかったらしいですが、フライデー側の態度が挑発的であったため、消化器噴霧や暴力沙汰につながりました。

ただ、皮肉にも、フライデーは写真週刊誌でありながら、そのとき編集部にカメラマンがおらず、誰も撮影できませんでした。

そのため、その後ネタになっていくにつれて、話が盛られている可能性はあります。

ですが、この事件が写真週刊誌の強引な取材手法に対して、批判されるきっかけとなったのは事実です。

講談社とは、後にたけし軍団とフライデー編集部とで野球を行うことで、一応手討ちとなっています。

たけしの謹慎期間中、代理を多く務めたのが同じ事務所(太田プロ)の山田邦子で、大ブレイクのきっかけとなりました。

また、一部の番組ではたけしを模した着ぐるみが座っていました。

たけし自身は謹慎後、事務所を辞めて、個人事務所を設立しています。

母、さきさんについて

母親の葬儀で泣き崩れたたけしですが、自称、日本一のマザコンとのことです。

母、さきさんは、中学からたけしを進学校に越境入学させるなど、教育熱心な人でした。

著書によると、母親は「賢いから旧華族のお嬢さんの家庭教師をしていた」と口にしていたそうですが、テレビ番組で先祖のことが調べられたとき、実際は千葉の農家出身で、華族の家にいたことは事実らしいですが、家庭教師ではなく女中だったとのこと。

縫い物をする技術を当時は持っておらず、苦労して女中頭の女性に教えてもらい、後に得意となったとか。

それだけに教育の重要さを実感していたとのことです。

ちなみに父方の先祖は四国の武士だったとか。

高級車に関するエピソード

売れてきて、金回りがよくなってきた頃、たけしは高級外車を数台購入しました。

しかし、自分が乗っている姿が見えないため、本当にかっこいいのかわからないと思ったそうで、知り合いに車を運転させて、それをタクシーに乗って追いかけ、「あの車は俺のだぞ、かっこいいだろ」と同乗者に自慢していたと言われています。

コマネチには対になるギャグがある?

ビートたけしの一発ギャグといえば、「コマネチ!」と叫びながら、股間のあたりに両手を当てるギャグが有名です。

コマネチというのは、モントリオールオリンピックの女子体操で10点満点を連発したナディア・コマネチ選手のことです。

両手を斜めに当てるのはレオタードの角度を表しているとされています。

ところで、元々、このギャグには「アンドリアノフ!」という対になるギャグがあります。

こちらは同じくモントリオールオリンピックで活躍した体操選手ニコライ・アンドリアノフ選手から取ったものです。

こちらはレオタードの角度ではなく、股間部分の大きさを強調しているギャグです。

元は一発ギャグではなく、さらに「笠松!」「剣持!」などと当時の体操選手の名前を連呼していたとか。

バイク事故について

1994年8月2日午前1時半頃、ビートたけしは原付バイクで事故を起こします。

カーブを曲がり切れず、ガードレールに接触、転倒した模様で、しかも、飲酒運転でした。

どこへ行こうとしていたのか、事故当時の記憶が飛んでいて、はっきりしないとのこと。

ですが、当時、愛人疑惑のあった細川ふみえ宅を目指していたのではないかという説が有力です。

ちなみに第1発見者で救急車を呼んだのは、元光GENJIの諸星和巳です。

その後の顔面麻痺が起こった状態での記者会見は大きな反響を呼びました。

しかし、実際、事故直後はもっと顔が腫れ上がっていて、本人はあれでもだいぶマシになったつもりだったとか。

あとで映像を見て驚いたということです。

事故後、宗教の勧誘が多くて参ったというような感想を語っています。

エピソードが多すぎる人物なので、とりあえずはこれくらいで。

<参考文献>




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