以前、ビートたけしに関する雑学を集めましたが、弟子である「たけし軍団」に関する雑学も集めてみました。
ただし、お笑いグループに関する雑学は本人たちがネタにして話を盛っている部分が多く、どこまでが本当なのか怪しい部分がありますので、あらかじめご了承ください(文中:敬称略)。
名前の由来
「たけし軍団」という名前自体は「石原軍団」のパロディです。
「たけし軍団セピア」というグループも一時存在しましたが、これは「一世風靡セピア」のパロディです。
メンバーについては流動的すぎて、正確な人数は誰もわからないとのことです。
オリジナルメンバー
最初に弟子入りしたそのまんま東を筆頭に、大森うたえもん、松尾伴内、ダンカン 、柳ユーレイ、ガダルカナル・タカ、ラッシャー板前、つまみ枝豆の8人がオリジナルメンバーと言われています。
のちにグレート義太夫と井手らっきょが加入し、10人体制になりましたが、8人だと草野球チームが組めなかったので10人に増やしたなどと言われています。
メンバーたちはビートたけしと同じく、当時、太田プロに所属していました。
ですが、ほとんどはたけしの弟子という扱いでポケットマネーでギャラをもらっていたとのこと。
ダンカンについては、元々、立川談志の弟子で「立川談かん」と名乗っていました。
一時期、「ふんころがし」と名乗っていましたが、ハワイで出会った横山やすしにあいさつした際、「名前がふざけとる!」と怒られたことがあるとか。
また、ガダルカナル・タカとつまみ枝豆は、たけしの弟子となる前、ふたりで「カージナルス」というコンビを組み、タカとポポと名乗り活動していた時期があります。
なぜ「カージナルス」というコンビ名だったかというと、同じ事務所に「星セント・ルイス」が所属していたからです。
メジャーリーグの球団「セントルイス・カージナルス」にちなんでいるわけですね。
なお、この頃のメンバーが一軍と呼ばれています。
後に一番弟子のそのまんま東は政治家になるため独立し、二番弟子の大森うたえもんは俳優転身を目指して独立しました。
人気になったきっかけ
日曜の昼に日本テレビ系列で放送していた「スーパージョッキー」という番組で、身体を張ったリアクション芸を披露し続けていたのが話題を呼び、人気が上昇しました。
しかも、当時はメンバーも若かったことからアイドル的な人気も出て、歌を発売してもいます。
芸名の付け方
「つまみ枝豆」など、変わった芸名をつけることで知られていますが、これは厳しい芸能活動に耐えられるかどうかを見極めるためと言われています。
「つまみ枝豆」の場合は宴席の際、「フグ珍味ピリピリ」との二択を迫られ、枝豆の方を選んだとか。
ちなみに「浅草キッド」の小柄な方、「水道橋博士」の芸名は鉄腕アトムに登場したお茶の水博士のパロディです。
弟子入り当初は眼鏡をかけており、雰囲気が博士風だったので名付けられました。
なぜ水道橋なのかというと、師匠のビートたけしに憧れて上京。
師匠と同じ明治大学に入学した水道橋博士ですが、師匠同様、わずかな日数で中退。
明治大学は三年時から駿河台にあるキャンパスで学ぶことになるのですが、その最寄駅が御茶ノ水です。
そこに行くことができなかったことから、ひとつ前の駅の水道橋から芸名を取ったというわけです。
なお、一時期、亀頭白乃介と名乗ったこともあるそうです。
しかし、亀頭と玉袋筋太郎では仕事が取りにくいということで、すぐに元に戻すことになったという逸話が伝わっています。
※2022年 水道橋博士は参議院議員に当選しましたが、その後病気になったこともあり辞職しています。
相方の玉袋筋太郎は芸名がNHKの放送コードに引っかかるため、NHK出演時は知恵袋賢太郎や玉ちゃんと名乗るのがお約束になっています。
スナックの愛好家で、全国各地のスナックを回った末、自らもスナック経営を始めています。
「殿」という呼び名
たけしは軍団員から「殿」と呼ばれていますが、これはたけしが「師匠」と呼ばれるのを嫌ったため、萩本欽一が「大将」と呼ばれるのを参考にして「殿」にしました。
なお、一軍メンバー内には上下関係はないと言われていますが、二軍以下には序列があるとされています。
弟子入り志願者があまりに多いため、ダンカンが番頭
役を務め、本気で芸人になる覚悟があるか確かめるため、全国をヒッチハイクさせるなどのテストを行い、希望者を選抜するようになったとのことです。
時にはやりすぎたこともあったようで、パワハラを苦にして自殺した弟子がいると言われています。
一方で、年長のメンバーは加入直後の弟子を一緒に住まわせるなどの面倒を見るルールもありました。
フライデー襲撃事件とその影響
人気絶頂だったビートたけしとたけし軍団でしたが、たけしの愛人とされた専門学生に対する取材をめぐって、講談社フライデー編集部を襲撃する事件が起こりました。
有名な「フライデー襲撃事件」です。
一時、メディアから去ることになりました。
たけしはフライデーに以前から執拗な取材を受けていて、さらなるこの取材で怒りが爆発。
当初は「一発殴って終わりにするくらいのつもりだった」とたけし自身は語っていますが、相手が挑発的な態度を取ってきたため、消化器噴霧や傘などを使った暴行につながりました。
なお、このとき、そのまんま東は襲撃そのものに消極的だったので最後にエレベータへ乗りましたが、「編集部のある階に着いたときには一番扉側にいることになったため、先陣を切る形になってしまった」とよくネタにされています。
たけしの母はこの件についてコメントを求められ「死刑にしてやってください」と語っています。
また、横山やすしと立川談志は「ひとりで行くべきだった」という主旨の発言をしています。
この事件は大きな話題となり、これ以降、相手が有名人であっても過度の取材攻勢はやめるべきという風潮ができました。
一部の写真週刊誌などが売上を減らし廃刊になる現象が生まれました。
この事件はクソゲーの代表として有名なファミコンソフト「たけしの挑戦状」の発売前日であったため、ソフトはなんとか発売されたもののテレビCMは打ち切りとなりました。
裁判の結果、たけしと軍団は半年ほど謹慎することになりました。
その間、代役を務めたのが同じ大田プロ所属の山田邦子で、この件で「女芸人として初めて天下を取った人物」と呼ばれるようになりました。
謹慎中、当時人気のあった「風雲たけし城」という番組では、たけしの着ぐるみが代わりに出演するなど、苦肉の策が取られていました。
ちなみにフライデー編集部とは、のちに軍団のチームと草野球の試合をすることで、形の上では和解したとのことです。
プロにも勝った草野球チーム
草野球チーム「たけし軍団」の強さは「ビートたけしのスポーツ大将」という番組内でも有名でしたが、阪神タイガースや千葉ロッテマリーンズのファン感謝デーにて、余興とはいえ勝ったことがあります。
軟球を使っていたため、プロ側に不利だったとも言われていますが、実はプロ側も軟球を使って練習していたことが後にわかったとか。
間寛平が軍団入りする話があった?
間寛平はある日、吉本新喜劇を辞めて東京に進出したいと考え、知り合いだった島田洋七に相談し、たけし軍団入りを紹介されました。
たけし側も「そちらがよければ……」と了承したそうですが、関西出身の若手軍団員から「尊敬する寛平さんが後輩になるなんて嫌です」と泣かれ断念したと言われています。
結果、寛平は萩本欽一を紹介され、そちらの世話になりますが、そもそも、当時、吉本に東京支社があることを知らなかったという逸話があります。
最近あまり見かけないメンバーたち
・大森うたえもん
たけしの二番弟子でしたが、俳優を志し、喧嘩別れのような形で独立。
現在は声優養成所を宮崎で経営していて、宮崎県知事時代のそのまんま東を表敬訪問しています。
・柳ユーレイ
北野武監督作品などで俳優としての才能を見出され、俳優業にて活躍中。
・なべやかん
なべおさみの息子で明大替え玉受験問題の結果、たけし軍団入り。
ウェイトリフティングに目覚め、数多くの大会で優勝。
最近はプロレスに出場することもあります。
・大阪百万円
弟子入りの際、大阪から百万円を持参したため、このような芸名が付きましたが、持参金のほとんどは先輩たちにたかられ失ったとのこと。
フライデー襲撃事件のときの参加メンバーでもあります。
芸人としてその才能を期待されていましたが、先輩たちからの理不尽な暴力などに耐えかね、これからというところで脱退。
後に俳優などをしていたようですが、現在は引退した模様です。
・芹澤名人
弟がプロゴルファーの芹澤信雄で自身もコーチとしての資格を持っています。
弟のキャディーを務めることもあったとか。
たけしがゴルフに出かけるときは同行することが多かったと言われています。
現在は俳優として活動中です。
・亜仁丸=レスリー
元プロ野球「阪急ブレーブス」の抑えのエース。
派手なパフォーマンスが人気だったことから、引退後たけし軍団入りし、風雲たけし城などに出演し人気を得ます。
しかし、54歳の若さで腎不全のため亡くなられました。
・水島新太郎(おぼっちゃま)
「ドカベン」などで知られる漫画家、水島新司の息子。
高校まで野球をしていましたが、プロ入りは叶わなかったとのこと。
俳優の道に進もうとした際、父がたけしに相談したところ、とりあえず軍団で修行させたらどうかという話になり加入。
フライデー襲撃事件のメンバーのひとりですが、当時未成年だったため少年Aと報道されました。
現在は俳優をしながら、父親のマネージャーを務めているとのことです。
・北海ジャンジャン
そのまんま東と暴行事件や名誉毀損などで揉めたメンバー。
裁判には勝ちましたが、芸能界には残れず。
水道橋博士の著書によると、殴られても当然の態度をとる奴だったとのこと。
・井手らっきょ
全裸芸や100mを11秒で走る俊足が売り物でしたが、現在は故郷の熊本に帰りローカルタレントとして活躍中です。
フライデー襲撃事件に参加しようとしましたが、行き先を知らされておらず、仕方なく愛人宅にいたとされています。
しかし、襲撃に参加しなかったことで、奥さんに浮気がバレたという逸話があります。
オフィス北野とさらなる独立
フライデー襲撃事件のあと、たけしと軍団は太田プロから独立し、新事務所「オフィス北野」を設立します。
しかし、2018年、たけしは新事務所「T・Nゴン」を設立し、そちらへ移籍。
オフィス北野はつまみ枝豆が社長となり、ダンカンが専務取締役となっています。
軍団員のほとんどはオフィス北野所属のままですが、構成作家でもある〆さばアタルとアル北郷は「T・Nゴン」に移籍しています。
独立の経緯は謎が多いですが、タレントよりもマネージャーなどの稼ぎが多いことに、たけしが疑問を持ったのがきっかけとされています。
すでに解散している?
2004年、番組の企画内で解散が発表されましたが、誰も本気にしていないとのこと。
しかし、2016年そのまんま東はテレビ番組にて「軍団としての仕事がないこと」を理由にすでに解散していると発言しています。
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