織田秀孝と信長は入れ替わった?信長が急に改心したのはなぜか?

地理・歴史系
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織田秀孝というのは、信長の弟のひとりで、敵方の領地(当時、信長と敵対していた叔父、織田信次の領地)でひとり馬を飛ばしていて矢で射殺されるというくらいしか事績のない人物です。
ですが、美貌で、頭の良い人物だったともされています(非業の死を遂げたからそう書かれているのかもしれませんが……)。

この秀孝を主役にした漫画を読みました。
コンビニで立ち読みしただけなので、漫画の作者は忘れてしまいましたが、原作者は作家の鯨統一郎氏でした。
鯨統一郎氏の「トンデモ説」と言って差し支えない歴史解釈を私は結構好きなのですが、織田信長が1555年頃から突然優秀になるのは、秀孝と入れ替わったのではないか、という説を提唱されていました。
つまり、1555年に殺されたのは実は信長だったと。
うつけ者だった頃の信長なら、敵地を一騎で駆けていても不思議ではありません。
秀孝の死の直後から信長が優秀になっていることに目をつけられたのだと思います。
ちなみに1555年頃の信長は、織田本家との争いに勝った頃です。

ちなみにこの事件以降、信長の弟、信行(信勝)が林通勝や柴田勝家らと組んで信長に反旗を翻していますが、これは信長ではなく、秀孝だったから、反旗を翻したとも解釈できます。
佐久間信盛ら、長年仕えた重臣たちが後に追放されたのも、秘密を知っていたからと考えられると鯨統一郎氏は述べておられます。
もしかすると、本能寺の変の謎にも繋がるかもしれませんね。

まあ、文献など証明するものが出てこないだろうから、絶対支持されない説でしょうが、面白いなと思いました。
第一、織田秀孝なんて存在を知りませんでしたし……
信長の兄弟って、たくさんいるけども、信行(信勝)と有楽斎くらいしかあまり話に出てきませんしね。
歴史は本当になぞだらけですね。

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