信長に仕えた黒人奴隷ヤスケは本名ヤスフェ?

地理・歴史系
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彌助と呼ばれた黒人奴隷

織田信長の下で彌助(ヤスケ)という名の巨漢の黒人奴隷が働いていたという話は有名です。
信長のボディガードなどを務めていたようですね。
ポルトガル人の宣教師が連れてきたとされています。
あまりに肌が黒いので、墨でも塗っているのではないかと、信長が身体を洗わせたというエピソードも伝わっています。
安土の町では彼が歩いていると、民衆が珍しがって、騒ぎになったとのことです。

本名はヤスフェ?

このヤスケですが、現在でもモザンビーク地域でヤスフェという人物名が見られます。
そのため、本名はヤスフェだったのではないかという説があります。
ちなみに当時のモザンビークはポルトガル領です。
奴隷貿易の中心地でもありました。

本能寺の変のあと

本能寺の変の際、ヤスケは明智軍に捕縛されたと言われています。
しかし、「何も事情がわかっていないだろう」と、光秀に釈放され、南蛮寺に送られたと伝わっています。
その後のヤスケの行方ははっきりとしませんが、九州に行き、キリシタン大名に仕えたという説があります。
キリシタン大名、有馬氏の軍に大砲を操作する黒人がいたという記録があり、これがヤスケではないかと言われています。

なお、秀吉は宣教師を追放しましたが、これは彼らが奴隷取引に関わっていて、日本人も奴隷にしようとしていたからだと言われています。

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