どうして信長には生存説がないのか? 当時、嫌われていた?

地理・歴史系
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はじめに

歴史上、悲運の死を遂げた英雄には、どこかに落ち延びたという伝説が生まれやすいです。
源義経がチンギス=ハンになったとか、明智光秀が南光坊天海になったとか、豊臣秀頼が薩摩に落ち延びて、子が天草四郎だとか……
これは彼らの死を惜しんだということもあるでしょうし、無念の死による祟り、怨念の類を恐れて作られたという面もあるかと思います。
しかし、日本を代表する人物である織田信長には、本能寺から落ち延びたという生存説を聞いたことがありません。
私が不勉強なだけで、どこかにはあるのかもしれませんが、少なくとも一般に広まっているような話はないように思います。
信長を殺害したとされる明智光秀に複数の生存説があるのとは実に対照的ではないでしょうか。
本能寺が全焼しても信長の遺体は発見されなかったとされています。
本能寺の変の動機は未だに謎のままです。
このような不自然な死を迎えた信長にこそ、あってもおかしくないと思うのですが、ありません……
なぜなのでしょうか?

生存説が生まれる背景

確かに、仮に生き延びたとしても、そのあと信長と見られる人物が活躍したという形跡はないです。
光秀は天海と名を変え、身を潜める必要があったかもしれませんが、信長の場合は身を潜める必要がなかったと思われます。
だから生まれにくい側面はあるのかもしれませんが、ただ、もし生き延びていたとしたら、たとえその後、秀吉や家康に消されたとしても、どこかに生存説があってもおかしくないと思います。
私は生存説が生まれる原因は、冒頭に記したように惜しまれたということと、怨念を恐れたという要因が大きいと思っています。
つまり、すべては民衆が彼らに同情するかどうかが問題なのではないでしょうか?
民衆が「かわいそう」と思う要因がなければならないのです。

信長は嫌われていた?

前置きが長くなりましたが、要は当時、織田信長という人は相当嫌われていたか、恐れられていたのではないかと考えられます。
なので、民衆は光秀のほうが気の毒だと思ったのではないかと。
「せっかく嫌われ者の信長を殺したヒーローであったのに、秀吉に負けてしまったためにいいところだけ取られて悪人扱いを受けているのでかわいそうだ。このままでは怨霊となって成仏もできない」と民衆たちは考え、生存説を唱えたのではないでしょうか?

あくまで推測にすぎませんし、ここに秀吉や家康の陰謀説などが関わってきたら取りとめが着かないほど論議や検証が広がってしまいますが、信長に生存説がないということに関しては、根本的にはこういう単純な発想で良いのではないかと思っています。

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