「中国大返し」のキーマン? 松井佐渡守康之について

地理・歴史系
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はじめに

明智光秀が本能寺の変にて信長を討った直後、羽柴秀吉が信じられない速度で中国戦線から東上して来ました。
これは「中国大返し」と呼ばれ、戦国時代最大の幸運児、太閤秀吉の奇跡的伝説のひとつと見なされています。
しかし、常識で考えて、本能寺の変の後に情報を得てから、戻るには早すぎます。
毛利氏に向かっていた伝令を秀吉の陣営が捕まえたなどと言われていますが、秀吉が早めに情報をつかんでいたと考えるのが自然ではないでしょうか?
では、どこから知ったのが?
ここで、ひとりの人物が浮かび上がって来ます。
細川藤孝の下で、家老として活躍した松井康之という人物です。
松井佐渡と呼ばれることもあります。

松井康之とは?

父は室町幕府の幕臣、松井正之で、自身も13代将軍、足利義輝に仕えていました。
しかし、義輝が三好三人衆によって暗殺されたことによって、同じく幕臣であった細川藤孝らと行動を共にし、最終的には信長の配下となります。
戦で活躍したのは、秀吉が鳥取城を兵糧攻めした際(いわゆる鳥取城の飢え殺し)、食糧を城内に運ぼうとした毛利水軍を撃退したことです。
このことは信長からも褒められており、秀吉とも交流が深まったと思われます。
定説では、本能寺の変の知らせが届くと、京の町に潜入し、秀吉が中国戦線から戻ってくるという情報を取り付け、判断を迷う細川親子に対し、中立を保つよう促したと言われています。
中立というより、秀吉の側近に対して、味方する旨の書状を送っていたという情報もあります。
秀吉の時代、そして徳川の時代になっても、細川家の筆頭家老として細川氏に仕えました。
主君、忠興が関白秀次の事件や関ケ原の戦いで徳川方から疑いをかけられた際も、その知恵によってピンチをしのいだと言われてます。
また、千利休の高弟だったという文化人としての側面もあります。

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細川藤孝は本能寺の変の計画を知っていた?

中国大返しはそのスピードもそうですが、毛利氏との和睦のタイミングも絶妙であり、さらには光秀側の畿内制圧が進まない内に攻め入るなど、あらかじめ知っていないことには、極めて困難な所業だと思います。
もちろん、秀吉も間者を信長周辺に放つなどしていたと思いますが、明智方の機密がそう簡単に漏れるでしょうか?
ましてや、ルイス・フロイスから策謀の名人と評されている光秀のことです。
細川藤孝は光秀にとって、元上司であると同時に娘の嫁ぎ先でもあり、信長政権下では部下という複雑な存在でした。
細川藤孝は光秀から、本能寺の変の企てを知らされていたのではないでしょうか?
これは私の推論ではなく、光秀の末裔で近年、光秀関連の著書をたくさん出されている明智憲三郎氏も語っていることです。
細川藤孝がそのことを知っていたなら、当然、家老の松井康之が知っていてもおかしくはありません。
ただ、娘婿でもある忠興が知っていたかどうかは微妙なところです。
伝わるところでは、短気な人物で、信長を尊敬していたとも言われていますので……
それはさておき、もし細川藤孝が企てを知らされていたら、さぞかし迷ったことだと思います。
長年の親交と恩義のある光秀との仲を裏切るわけにもいかないし、かといって、計画がうまくいかなければ、細川家の滅亡につながります。
事実、本能寺の変後、判断に困った細川藤孝は髷を切って、仏門に入ったくらいです。
家老である松井康之が細川家のために何らかの動きをしたと考えるのは不自然ではありません。

加増分の三分の一を松井康之へ?

本能寺の変、山崎の戦いと終わり、秀吉が天下を取ると、細川家には丹後一国が与えられるわけですが、「加増分の三分の一は松井康之に与えるように」と特別な指示がされています。
表向きは水軍の維持費のために……ということですが、それだけで2万石もの加増がされるものでしょうか?
また、その後の小田原城攻めや唐入りにも参戦したことにより、秀吉は一時、石見国の半分を松井康之に与えようと提案します。
細川家への手前か、松井は断っていますが、異常なまでの配慮と言えないでしょうか?

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光秀と不仲だった?

近年の記録では、明智光秀は元々、細川藤孝に仕えていたという説が有力ですが、このとき、細川家の重臣たちと仲が悪かったという文献が残っています。
(ちなみに、織田家家中でも新参者が出世して行くので、嫌われていたという説があります。)
その後、織田家で出世した光秀が松井康之に出会い、「あなたが嫌ってくれたおかげで、逆に織田家で出世できた。仇を恩で返す」という旨の話をした文献が残っています。
その際、松井康之が「では、忠興様に娘さんを嫁がせてください」と言って、縁談がまとまったという説もあります(ふたりの結婚は信長の命令だという説もあります)。
いずれにせよ、ふたりは元々、不仲だったと考えられます。
表面上は和解していたかもしれませんが、人間の心はそう簡単なものではないでしょう。

最後に

当時の情勢から考えて、どの家もどうやって家系を守るのかを第一に考えていたはず。
明智、羽柴、どちらに着くか、あるいは双方に着くか、考えていた家はたくさんあったと思われます。
その際に大きな賭けをして成功したのが、この松井康之と細川家ではないかと思うのですが、どうでしょうか?

こちらにはもっと大胆な推論とともに詳しく描かれています。

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