新聞報道によると、明智光秀の愛刀と伝わる「備前近景」が再発見されたそうです。
彦根藩の重臣だった木俣氏に伝わっていたものが、明治維新の際に行方知れずになっていたのを、現在の所有者が京都にある井伊家の末裔が経営する井伊美術館に鑑定を依頼し、本物とわかったとか。
井伊美術館のサイトによると、元々存在がわかっていたものであったため、「再発見」という表現を使っているそうです。
木俣氏についてよくわからなかったので、調べてみましたところ、古くは楠木正成にまで遡る家系に連なるそうです。
初代というべき存在である木俣守勝という人物が、元々、徳川家康に仕えていたそうですが、岡崎城で親族間の争いで刃傷沙汰を犯してしまい、徳川家を出奔。
その後、織田家に走り、光秀に仕えたとのことです。
光秀の元で、城攻めでは一番乗りを果たすなど活躍しますが、徳川家康から戻るよう指示があり、徳川家に戻りました。
そのため、徳川から明智へ送られたスパイだったとも、両家の間を取り持つ外交的な役割をしていたという説もあります。
本能寺の変直後の神君伊賀越えにも付き添った人物です。
元々、伊勢出身だったため地理に明るかったので、その際には活躍したということです。
徳川家では井伊直政に仕え、直政死後は彦根藩の家老となり、彦根城築城にも貢献。
この木俣守勝の元に九州の大名、寺沢家に仕えていた三宅氏の人物(一説には明智秀満の子。秀満の元の名は三宅弥平次)が光秀から預かっていたという刀を守勝の元に贈りました。
寺沢家側に中央政界に近づきたい狙いがあったのだと推測されています。
いずれにせよ、それ以来、木俣氏の所有となるものの、江戸時代ももう少し時代が下ると、朱子学や儒教思想が広まり、明智光秀の名前は謀反人の代名詞にされました。
そのため、刀を所持していることは秘密とされ、誰にも見せてはならないと伝えられていたということです。
今回見つかったのは、その刀です。
8月から井伊美術館で公開されています。
どうやら刀剣目録のようなものが存在していたため、本物で間違いないとわかったとか。
しかし、いつものことながら、大河ドラマ放送前になるとこういうものが出てくるのが不思議ですね。
井伊美術館サイトはこちら。
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