栃木県日光市は日光東照宮で有名な町です。
この日光という地名ですが、元は二荒(ふたら)山という山の名前が由来となっています。
二荒山には男体山という別名もあります。
奈良時代に勝道上人という僧侶がこの山に登頂し、道場としました。
後に神仏習合となり仏教、神道、修験道とが混在します。
現在は二荒山神社があり、信仰を集めています。
この二荒(ふたら)という地名ですが、観音菩薩が住む山、補陀落(ふだらく、ほだらく)山が由来とされています。
補陀落というのは、サンスクリット語の「ポタラーカ」の当て字です。
ポタラーカは観音菩薩が住む場所とも、観音菩薩が作る極楽世界ともされ、ここに至ると、仏になる修行が楽になるとされる場所でもあります。
一説には南方にあるとされ、この場所に至るため、平安時代くらいから小舟に乗って僧侶たちが海へ流れていく「補陀落渡海」などという習俗が行われていました。
ちなみにチベット仏教の指導者ダライ・ラマは観音菩薩の化身とされています。
ダライ・ラマが住むチベットのラサにある宮殿はポタラ宮と言いますが、これもポタラーカが語源です。
現在のダライ・ラマはチベットを追われ、インドに亡命してはいますが。
この二荒が日光と読み換えられた理由としては、弘法大師空海がこの地を訪れた際、二荒を「にこう」と読んだからと伝わっています。
しかし、空海が本当にこの地を訪れたかは明らかではなく、伝説の域を出ません。
日本には各地に空海や聖徳太子、ヤマトタケルにちなんだ地名がありますが、日光もそのうちのひとつかと考えられます。
二荒が日光という漢字に改められたのは、おめでたい字を当てたという説が有力ですが、日向守光秀からという俗説もあります。
日向守光秀というのは明智光秀のことです。
略して「日光」というわけですが、この明智光秀は日光東照宮をプロデュースした南光坊天海と同一人物という説があります。
同一人物説はかなり怪しいのですが、縁者だったとも、光秀をリスペクトした人物だという説もあります。
傍証として、東照宮の一番見晴らしの良い場所を「明智平(あけちだいら)」と名付けています。
この山には古代から祭祀の跡が見られ、「二荒」と「日光」という表記で書かれた文献が残されています。
そのため、由来としては俗説の域を出ませんが、日光という表記が主流になるのは、明智光秀がからんでいるのかもしれません。
日光東照宮を現在の規模まで増築したのは三代将軍徳川家光ですが、家光の乳母である春日局は明智光秀の重臣斎藤利三の娘です。
このあたりも作為的なものを感じますね。
為政者の思惑はともかく、日光東照宮も二荒山神社もパワースポットとして有名な場所ですし、ぜひ訪問してください。
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