明智光秀関係

明智光秀関係

ガラシャの末裔が書いた「私の先祖、明智光秀」を読みました。

作者は細川ガラシャの末裔 表題の著書「私の先祖、明智光秀」を読みました。 著者はジャーナリストの細川珠生氏。 名前からわかるように細川家の子孫で、つまり、細川忠興と結婚した明智光秀の娘、ガラシャこと玉の血を引いているそうです。 長男、忠隆の...
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本能寺の変に関する異説いろいろ 光秀は忠臣だった?

はじめに 日本史上、邪馬台国比定地と並ぶほど論議となる本能寺の変。 状況証拠は多々あるものの、動機については未だ謎が多いです。 犯人にしても光秀単独説から家康や秀吉や朝廷が黒幕だったという説まで様々です。 有名なエピソードはあちこちで語り尽...
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本能寺の変について、一般的な説を整理してみました。

今も真相のわからない「本能寺の変」決行の動機。 少なくとも60ほどの仮説があると言われていますが、代表的なものをここにいくつかあげておきます。 怨恨説 光秀が厳しい性格の信長を恨んでいたという説です。 根拠とされているエピソードは以下のとお...
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信長に仕える前の光秀、近江湖西で活動か?文書が見つかる。

光秀は医術にも通じていた? 報道によると、明智光秀が信長に仕える以前、近江国の湖西地域で活動していたという文書が見つかったそうです。 薬の調合などに関する記載があるとかで、光秀が医術にも通じていた可能性もあるとのことです。 また、文書には足...
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明智光秀生存説ふたつ 天海上人に転生? 美濃で隠遁?

光秀は落ち延びた? 本能寺の変後、山崎の戦いで敗れた明智光秀は、定説では、小栗栖の竹藪で農民に竹槍で刺されたのをきっかけに切腹をして最後を迎えたとされています。 今もその場所は明智藪として残されています。 しかし、江戸時代に当時の学者がその...
地理・歴史系

信長と光秀と斎藤一族との血縁関係 意外と濃いその関係

信長の正室(妻)について 織田信長の正室は斎藤道三の娘で「濃姫」とも「帰蝶」とも呼ばれる人物です。 「濃姫」というのは「美濃の姫」という意味であるし、「帰蝶」という名は物語作家が作った名前と言われています。 本名は伝わっていません。 本能寺...
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本能寺の変、千利休黒幕説……トンデモ説にしておくにはもったいない。

茶道を大成させた茶人、千利休。 元は田中与四郎という名前の堺の商人です。 豊臣秀吉の側近としても有名な人物です。 この千利休が本能寺の変の黒幕であるという説があります。 動機としては、堺の豪商出身である利休が、信長が自由社会である堺の町を支...
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明智左馬助(秀満)の湖水渡り……秀満こそ天海僧正?

湖水渡り伝説 明智左馬助(秀満とも光春ともいう)が、琵琶湖を馬で渡り切ったという伝説があります。 本能寺の変のあと、明智左馬助は別働隊を率いて、安土城を制圧しました。 しかし、光秀が山崎の戦いで敗れ、明智の三日天下が終わったので、安土城を捨...
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「本能寺の変」の名場面はウソ? 小規模な建物だった?

発掘調査が行われました 報道によると「本能寺の変」にて信長が宿泊していたのは寺の本堂ではなく、ごく小規模な専用御殿だったという新説が発表されたそうです。 本能寺の跡地にマンションが建つことになったらしく、発掘調査が行われ、そのようなことがわ...