「本能寺の変」の名場面はウソ? 小規模な建物だった?

明智光秀関係
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発掘調査が行われました

報道によると「本能寺の変」にて信長が宿泊していたのは寺の本堂ではなく、ごく小規模な専用御殿だったという新説が発表されたそうです。
本能寺の跡地にマンションが建つことになったらしく、発掘調査が行われ、そのようなことがわかったようです。
また、焼けた瓦なども見つかったようですね。
簡素な建物にいたという理由として、大坂本願寺に移る予定だったからと推定されています。
信孝率いる四国遠征軍を見に行く予定だったのでしょうか?
この理由には多少疑問を感じますが、小さな建物だったというのはそのとおりかもしれません。
となると、時代劇などでおなじみの信長が大きな本堂前で奮戦する姿は虚像だったのではないかということなのですが……
『信長公記』の作者、太田牛一が信長のイメージを大きくするために脚色したのですかね?

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本能寺には大量の火薬があった?

本能寺は鉄砲取引の場所だったとされています。
だから、建物の中には火薬があり、それに引火したから、信長の遺体が木っ端微塵になって見つからなかったという説があります。
近くの寺に居た住職、清玉上人が織田家の縁者であったため、こっそり遺骨を持ち出して埋葬したという説もありますが。
実際はみんな黒焦げになっていて見分けがつかなかったのだという身も蓋もない話もあります。
ただ、それだと適当な遺体を信長だと断定してアピールできたのではないかと思うのですが……
また、信長が本能寺に大急ぎでやって来た理由として、当時上洛していた博多の商人、島井宗室が持っていた名物の茶器が見たかったからだという説もあります。
それが、「本能寺の変・商人陰謀説」として取り上げられることもあります。
もし信長が物語で描かれるような直情径行タイプで、気になることがあると待てない性格だったとしたら、案外簡単におびき寄せられたのかもしれません。

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跡地に建物が建つのは残念

マンション建設の関係で本能寺の跡が調査され、いろいろと予想以上の成果が出ているようです。
謎がこういう方向から説かれていくのは興味深いと思います。
別に信長が本堂前で奮戦するシーンがウソでもいいのではないかと思います。
想像の世界で楽しめばいいことですから。
信長の正室・濃姫や黒人奴隷だったヤスケも一緒に奮戦したという説もありますね。
もっと、最新科学の目でいろいろと調べてほしいですが、マンションが建ってしまうのが残念で仕方ありません。
日本史の重要場面の跡地がこんな形でなくなるのは悲しいですね。

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