中国の歴史に関するエピソード 最初の元号は何?

地理・歴史系
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はじめに

中国4000年の歴史と言われるほどの長い歴史を誇る中国。
歴史の記録を大事にしていた国だけに、エピソードは数多いですが、いくつか代表的なものを紹介します。

漢の高祖、劉邦には名前がなかった?

田舎の下級役人から皇帝となった漢の高祖、劉邦。
この名前について、劉邦の「邦」という文字は「劉のアニキ」というような意味であり、この地域の親分的存在だったからと言われています。
字(あざな)の季は末っ子という意味です。
父は劉大公(劉さんのおじさん)、母は劉媼(劉さんのおばさん)というような名前です。
本名が伝わらなかったか、あるいは名前もろくにないような低い身分出身だったからと言われています。


元号の始まりは漢の武帝から

「平成」が「令和」に変わり、話題となった元号ですが、元々は中国において、皇帝が空間だけでなく、時間までも支配しようとした発想から始まっています。
中国において初めて使われた元号は、前漢武帝の時代に始まった「建元」とされています。
一方、日本最初の元号は「大化」です。
かつてはひとりの天皇の間に何度も変わることがありましたが、現在は天皇一代にひとつの元号となっています。
現在、世界で元号を使っている国は日本以外にないと言われていますが、台湾には民国暦というものがあり、イスラム諸国ではイスラム暦というものが、西暦以外に使用されています。

歌舞伎の世界を梨園と呼ぶのは玄宗皇帝が由来

華やかな歌舞伎の世界は、「梨園」という別名で呼ばれます。
由来は、中国は唐の時代、都である長安市内の梨園に芸能養成所があったことです。
楊貴妃とのロマンスで有名な玄宗皇帝は芸事が好きだったため、自ら指導することもあったとか。
ちなみに相撲界が「角界」と呼ばれるのも中国が語源で、力くらべをすることを角力と呼ばれたことから来ています。
しかし、相撲については日本書紀にも記されており、野見宿禰と当麻蹴速が力比べをしたことが表記されています。
そのときの相撲は殴り合い、蹴り合いを中心とした現代における総合格闘技のようなものだったと言われています。

乞食鶏という料理の起源は、あの皇帝?

中国杭州の名物料理「乞食鶏」。
昔、乞食が鶏を盗んだものの、調理する道具がなかったので、蓮の葉に巻いた上で泥で固めて蒸し焼きにしたらうまかったというのが起こりとされています。
グルメ漫画、「美味しんぼ」でも取り上げられている料理です。
この乞食というのが、明の太祖、朱元璋のことだと現地では言われています。
実際、朱元璋は非常に貧しい家の生まれで、口減らしのために寺に預けられたましたが、そこでも口減らしのために追い出され、一時期、托鉢をしながら各地をさまよっていたとされています。
食べ物に困り、鶏を盗んでいたとしても不思議ではありません。
貧しい地位から皇帝となったのは、漢の高祖、劉邦と並ぶ偉業ですが、劉邦は地域の顔役でもあり、亭長という下級役人になっていた時期もあります。
金持ちの呂氏とも結婚していることから、食うのに困っていたほどではないとも考えられます。
朱元璋の方がもっと貧しい地位だったかもしれません。

盛り塩の由来は中国の後宮、なぜ福を招くと言われるのか?

幸運を呼び込みたいときや、逆に厄除けをしたいときに盛り塩をする風習があります。
今でも、プロ野球などで負けがこんだチームが、ベンチの前に盛り塩をする風景を見かけますね。
由来については諸説ありますが、有力なのは、昔、中国皇帝が後宮を異動する際、山羊や牛に車を引っ張らせ、止まった場所にいる部屋の女性に一夜の伽をさせる仕組みにしていたところ、とある賢い女性が塩を部屋の前に置いたのがきっかけとされています。
山羊や牛がそれを舐めるために止まるので、結果、その女性は寵愛を得ることができたということです。

独眼竜の語源は中国の武将

日本で、独眼竜と呼ばれた人物は伊達政宗ですが、元ネタは中国の武将、李克用です。
彼も生まれつき片目が不自由であったことと、戦に強かったので独眼竜と呼ばれました。
唐王朝が崩壊した後の群雄割拠の時代に活躍し、その部隊は黒一色の装束であったため鴉軍(あぐん)とも呼ばれていました。
本人は戦乱の中、病死しますが、息子がのちに五代十国のひとつ後唐の初代皇帝となります。


※まだまだ様々なエピソードがあると思うので、随時追加する予定です。

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