悲劇の種牡馬ポッセ
ポッセという馬は、アメリカ生まれですが、イギリスのレースで6戦ほど走り、G1も勝っています。
種牡馬入りしてから欧州でG1を2勝したシェリフズスターを出すなど活躍し、期待されて日本にも輸入されました。
しかし、種付け中の事故で繁殖能力を無くし、残念ながら廃用となってしまいました。
息子のシェリフズスターが日本に輸入され、のちに二冠馬セイウンスカイを出します。
しかし、セイウンスカイが出現するまでは活躍馬が出せず、これまたお役ご免となり行方不明となります。
セイウンスカイが皐月賞や菊花賞を勝つなど活躍したので、行方が探されましたが見つからず、噂によると最後は某牧場で草競馬に参加したものの、心臓発作を起こし亡くなったとか。
悲劇の一族ですとしか言いようがありません。
ちなみに、同じように種牡馬入りしましたが、牝馬になかなか興味を示さず、ほとんど種付けができなかった馬にウォーエンブレムという馬がいます。
しかし、この馬は少ない産駒から重賞勝ち馬を出すなど、ポテンシャルの高さは示しています。
地方所属馬ながら中央G1を勝った馬
中央競馬、通称JRAは農林水産省の関連機関であり、国営に近い組織です。
それに対し、大井競馬、名古屋競馬、笠松競馬など、地方公共団体が組合などを作って開催している競馬を公営競馬、または地方競馬と呼びます。
中央競馬は土日、地方競馬は平日に主に開催されていますが、20年ほど前、地方競馬の経営が厳しくなった際、中央競馬との交流が始まり、地方の特定レースを勝てば、地方馬が中央競馬のレースに出場できたり、騎手が中央競馬でも乗れるようになりました。
またダートのグレードが中央と地方で統一され、地方競馬場でもG1レースが行われるようになり、中央の馬が地方に遠征するようにもなりました。
かつて、ハイセイコー、オグリキャップなど、地方出身からG1を勝った馬は何頭かいます。
しかし、いずれも中央に移籍してからの勝利です。
地方所属のまま中央G1を勝った馬は、1999年のフェブラリーステークスを制したメイセイオペラのみです(2023年現在)。
ちなみに朝日杯2着のレジェンドハンター、桜花賞4着のライデンリーダー、皐月賞2着のコスモバルクなど惜しかった馬は何頭かいます。
マイネル、コスモなどの冠名で知られるラフィアングループの故・岡田総帥は地方馬での中央G1勝ちにこだわっていて、地方所属の馬で中央G1に挑戦し続けていました。
G1でゲートを出なかった馬がいる
2000年の皐月賞にて、三番人気に支持されたラガーレグルスという馬は、元々スタートの苦手な馬でした。
しかし、よりによって、皐月賞では最内枠が当たってしまい、一番最初にゲートインする羽目となってしまいました。
落ち着きをなくした同馬は騎手を振り落とした挙げ句、ゲートを出ず、一瞬で数十億円もの馬券が紙くずとなってしまいました。
ちなみにゲート入りする前なら、出走取消となり、馬券の返金がありますが、この場合はゲートインまでしていたため、返金はされませんでした。
その後、ダービーを目指してゲート試験を受けますが、皐月賞の際に損をしたファンによるものかは不明ですが、ゲート試験の際にわざと周囲で騒ぐ客がいたため、試験は不合格となり、ダービー出走を断念することになりました。
その後、ケガをしたため種牡馬入りしましたが、活躍馬を出せず、現在は行方不明とのことです。
G1で一番人気になりながら、スタート直後落馬した騎手
2002年の皐月賞を制したノーリーズン号は、武豊騎手騎乗ということもあってか、菊花賞で一番人気に推されました。
しかし、スタート直後につまづいて武豊騎手を落馬させてしまい、ラガーレグルス同様、数十億円もの馬券を紙くずとしてしまいました。
当時のルールでは、落馬しても再度騎乗すればレースを続けることができました。
3000mという距離もあってか、武豊騎手は再騎乗しようとした素振りがありましたが、馬が暴れたため叶いませんでした。
トウカイテイオーは有馬記念のあと引退するつもりはなかった。
皐月賞とダービーを制した名馬トウカイテイオー。
七冠馬シンボリルドルフを父に持ち、皐月賞、ダービーを勝った際には、親子揃って無敗の三冠馬かと期待されましたが、ケガに泣かされ、達成できませんでした。
それでも、後にジャパンカップや有馬記念を勝ってはいます。
最後は、前年惨敗した有馬記念に一年ぶりに出走し、劇的な勝利を挙げ、「奇跡の復活」と呼ばれました。
そのまま引退したため、有終の美を飾ったかのように思われがちですが、実は当時引退する予定はありませんでした。
現役続行予定でしたが、また脚元に不安が出たのでそのまま引退したのでした。
サイレンススズカがG1を勝ったときの鞍上は武豊騎手ではない。
稀代の快速馬サイレンススズカ。
武豊騎手とコンビを組んでから連戦連勝し、その圧勝ぶりが評判となりました。
特にグラスワンダーとエルコンドルパサーを子供扱いした毎日王冠での勝ちっぷりは、今もファンの間では語り草で、最強馬論争に名前の挙がる馬です。
その後の天皇賞・秋では堂々の一番人気となりました。
しかし、レース中に骨折……悲劇的な最後を迎えたことがファンの心に残っています。
このサイレンススズカ、本格化後は圧勝を続けていましたが、実はG1は1勝しかしていません。
しかも、そのときの鞍上は武豊騎手ではありません。
唯一のG1勝利を挙げた宝塚記念は、南井克巳騎手とのコンビによるものです。
このとき、武豊騎手はエアグルーヴとお手馬が重なっており、エアグルーヴを選択しました。
なお、そのときのエアグルーヴの結果は3着です。
サラブレッドの血統は遡れば三頭に行き着く。
サラブレッドはアラブ馬などをいくつかの種と掛け合わせて作られたものですが、今、世の中に存在する競走馬たちはすべて三大始祖と呼ばれる三頭に血統が遡れます。
「ダーレーアラビアン」「ゴドルフィンアラビアン」「バイアリーターク」の三頭です。
現在はダーレーアラビアンの血統が一番繁栄しています。
このことから、人間でも、血筋がはっきりしていることを「サラブレッド」と言うようになりました。
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