江夏豊のオールスターにおける9連続奪三振、実は15連続奪三振です。

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江夏豊投手とは?

江夏豊投手といえば、左腕から繰り出す豪速球と抜群の制球力を武器に活躍し、年間401奪三振という世界記録を持つ大投手です(2019年の奪三振王はソフトバンクの千賀投手で227ですから、いかに驚異的な記録かわかりますね)。

元は先発投手でしたが血行障害を患い、長いイニングを投げられなくなりました。

引退も考えていたところ、トレード先の南海で、当時、監督兼捕手だった野村克也氏から「革命を起こさないか」と説得され、日本初の抑え専門投手になったエピソードでも知られています。

ノーヒットノーランを持続したまま延長戦に入り、自分がサヨナラホームランを打って記録を達成したなんてエピソードや、日本シリーズにおける大ピンチを凌いだ「江夏の21球」も有名です。

記録だけでなく、記憶にも残る名選手でした。

引退後、クスリに手を出したことは惜しまれますが……

9連続奪三振

江夏豊伝説の中で特に有名なのが、1971年のオールスター戦における9連続奪三振です。

パリーグの強打者たちを1番から9番まで三振に切って落としました。

この頃、八百長を疑われる「黒い霧事件」がありました。

野球賭博に関わった選手たちが追放された事件です。

江夏自身も疑惑が持たれ、戒告処分を受けています。

それでも、ファン投票で1位に選ばれた江夏(当時、阪神に所属)は意気に感じ、知り合いの記者に「今までオールスターで誰も達成していない記録は何か?」と尋ねました。

すると、「9連続奪三振だろう」と教えられ、狙ってやろうと思ったのです。

現在はお祭り的な要素の強いオールスター戦ですが、当時はセリーグとパリーグの間には人気の面で大きな差がありました。

スポーツニュースでもパリーグの試合は「その他の試合結果です」と、点数の表示だけで片付けられるほどの存在でした。

そのため、オールスター戦はパリーグの選手にとっては数少ないアピールの場所でした。

また他球団選手のクセなどを盗む真剣勝負の場であったとも言われています。

そのオールスターで目の色を変えて挑んでくるパリーグの錚々たる打者が全員手玉に取られました。

ロッテの有藤から阪急の加藤まで9人の打者を合計41球で見事料理。

最後の打者、加藤がファウルを打ったときは、キャッチャーの田淵に「捕るな!」または「追うな!」と言ったとされています。

実は15連続だった……

この奪三振記録ですが、実は前年(1970年)のオールスター戦で江夏は5連続奪三振を記録していました。

なので、この試合が終わった時点で、14連続奪三振。

さらにこの年(1971年)のオールスター戦では、次の試合でもう一度登板しており、先頭打者を三振に打ち取っています。

これで15連続三振となります。

16人目の打者が後に恩人となるノムさんこと野村克也氏でした。

連続三振記録に気づいていたノムさんは「さすがにこれはまずい」と思い、いつもよりかなり短くバットを持ったと語っています。

マウンドにいた江夏は吹き出したとか。

戦後初の三冠王のプライドを捨ててまで当てに行ったノムさんは、バットに当てたもののセカンドゴロ。

しかし、これにより、連続奪三振記録は途絶えました。

後にチームメイトになり、数々の野球論議をかわすふたりですが、「あのときのノムさんはズルかった」と、後に江夏はノムさんに語ったとか。

余談

ちなみに戦後初の三冠王になったノムさんですが、その年(1965年)、本塁打だけ、阪急のダリル・スペンサー選手と激しい争いをしていて、残り10試合を残し、際どい勝負となっていました。

しかし、スペンサーが突然、オートバイの事故で大怪我をし、残りの試合を欠場することになり、ノムさんは三冠王の栄誉に輝くことになります。

運命とは不思議なものですね。

なお、江夏の9連続奪三振に挑戦した投手は何人もいますが、江川卓投手の8連続三振がもっとも近づいた記録です。

ちなみに長嶋茂雄氏がデビュー戦で金田正一投手から4打席連続三振を食らった話は有名ですが、実は次の試合の第1打席でも三振を食らっており、正確に言えば、5連続三振です。

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