幼い頃、カミナリが鳴ると、おへそを取られるから隠しなさいと言われたことはありませんか?
また、カミナリが鳴ったとき、「クワバラクワバラ」という呪文を唱えたことはありませんか?
このふたつの儀式(?)については、それぞれ理由があります。
以下に紹介します。
へそを隠す理由
まず、へそを隠す理由ですが、これはふたつ有力な説があります。
ひとつはカミナリが鳴ると、空気が冷えるため、子供がお腹を冷やして下痢などを起こさないよう考えられたという説です。
へそを取られると聞いたら、子供はお腹を服で隠そうとします。
なぜ、空気が冷えるかというと、いわゆる「カミナリ雲」と呼ばれる「積乱雲」は、温かい空気が上昇気流となって空に昇り、作られます。
上空の空気は冷たいので、冷たい雲ができます。
雲の中で水蒸気が作られ、雨となって地上に落ちます。
冷たい雨は大地を冷やします。
雨が降るとき冷たい下降気流も起こります。
となると、気温が落ちるわけです。
カミナリ自体は、雲の中で静電気が発生して落ちるものです。
しかし、カミナリは雷と書くだけでなく「神鳴り」ともかつては書かれたようで、神様の怒りとも受け取られていました。
神様が怒っているので、言うことを聞きなさいと子供に言い聞かせる意味合いもあったのでしょう。
もうひとつの理由として、カミナリは高いところに落ちるので、身をかがめて、低い姿勢になりなさいという説もあります。
へそを隠そうとすると、自然に前かがみになりますからね。
人間が身をかがめたくらいで、落ちにくくなるかは疑問ですが、合理的な理由ではあると思います。
いずれにせよ、へそを隠す理由は、温かい親心から生まれたものと言えるのではないでしょうか?
クワバラクワバラとつぶやく理由
こちらもいくつか説がありますが、有力な説は、天神様、菅原道真公に関係しています。
菅原道真といえば、宇多天皇に重用され、学者の家系でありながら、右大臣の地位まで上り詰めた人物です。
当時、右大臣ほどの高い地位につくには、藤原氏の中でも主流の家系に生まれないとなれませんでした。
当然、藤原氏の面々はこのことが面白くありません。
時の藤原氏の権力者だった藤原時平は宇多天皇の跡を継いだ醍醐天皇に讒言を繰り返し、道真を九州の太宰府に左遷させます。
道真は2年後、その地で失意のまま亡くなりました。
すると、直後から平安京で天変地異が何度も起こり、カミナリが内裏の清涼殿にまで落ち、火事で殿上人たちが逃げ惑うことも起こります。
藤原時平も39歳の若さで亡くなり、醍醐天皇の皇太子たちも急死。
醍醐天皇自身もショックのせいか、体調を崩し亡くなります。
これを当時の人々は菅原道真の祟りと考えました。
そこで、名誉を回復して、祀る場所として北野天満宮が作られました。
今では学問の神様として霊験あらたかな場所として、多くの受験生が祈る場所となりました。
前置きが長くなりましたが、クワバラクワバラという呪文(?)について説明します。
これは菅原道真の屋敷があったとされる場所が桑原という地だったのですね。
平安京中に落雷があったそうですが、そこにだけは落ちなかったという言い伝えがあります。
それで、皆、「クワバラクワバラ」と唱えるようになったとか。
現在、この地名は京都御所近くの道路上にだけ残っています。
当然、住んでいる人は誰もいません。
なお、農民が雷神から「桑の木が嫌いなので、桑原桑原と唱えるなら落ちない」と聞いたという伝説もあります。
そのため、昔はカミナリを恐れて、庭に桑の木を植えることが多かったとか。
カミナリが鳴ると、桑の林に逃げたり、桑の枝を手にしたりするようにしていたとか。
桑の葉は古代より神聖な力があると見られていたようです。
これは布の原料になる蚕が食べるからではないかと言われています。
日本のことを「扶桑」と呼ぶこともありますしね。
もうひとつ、今の兵庫県三田市に桑原という土地があり、そこの寺にある井戸にカミナリの子が落ちたという伝説があります。
寺の住職が井戸にフタをして閉じ込めたところ、「二度とこの地にはカミナリを落とさないから」と、カミナリの子は約束し、出してもらえたとか。
こちらはほのぼのとした話ですね。
最後に
これらを迷信と考えるのは簡単ですが、迷信が作られる背景には合理的な理由があるとも考えられますね。
後世に伝えやすいように作られた話とも言えます。
現代人も、カミナリがなったら身をかがめたり、お腹を冷やさないようにしましょう。
クワバラクワバラと呪文を唱えるのもいいかもしれません。
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