野球に関する小ネタ 懸河のドロップとはどういう球種か?

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沢村栄治がメジャー相手に好投したのは1試合のみ?

プロ野球黎明期の名投手、沢村栄治。
今も、年間最優秀投手には「沢村賞」という賞が与えられるなど、歴史に名を残している名投手です。
当時はスピードガンなどない時代でしたが、150キロ以上の球を投げていたとも、球が浮き上がるようだったという逸話が残っています。
その伝説のひとつにベーブ・ルースやルー・ゲーリックらが参戦したメジャーリーグのオールスター相手に、結局敗れたものの1点に抑えたというエピソードがあります。
しかし、その前とその前の試合で滅多打ちを食らい、KOされていた話はあまり知られていません。
好投した日はメジャー側が二日酔い状態だったとか、太陽の向きが投手に有利だったからとも伝わっています。
連日、メジャーの圧勝続きであったので、なめられていたことも間違いないとは思います。
しかし、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらを擁したメジャーリーガー相手に好投した事実は色あせるものではありません。
三回、戦争に動員され、手榴弾の投げすぎで肩を痛めてしまいました。
そのため、晩年は快速球がなりを潜めたのは残念で、最終的に戦死したのは悲劇としか言いようがありません。

槙原寛己投手は実は阪神キラーである。

1985年、阪神タイガースが優勝し、日本一になった年の甲子園でのバース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発は今も語り草となっています。
このとき打たれたのは巨人の槇原寛己投手です。
三連発を浴びてがっくりとする槇原投手の様子は何度も放送されていて、槇原投手は阪神戦を苦手としているかのような印象を受けますが、実は通算成績38勝10敗と大幅に勝ち越していて、槇原投手にとって一番のお得意さんは阪神でした。
ちなみに新庄選手から敬遠球をヒットにされたのも槇原投手ですし、中日ドラゴンズからもホームラン三連発を打たれたこともあります。
後に広島カープ相手に完全試合を成し遂げてもいます。
記録だけでなく、記憶にも残る選手であったと言えますかね。

懸河のドロップとは?

野球にて、するどく曲がり、速いスピードのカーブをドロップといいます。
その中でも特にキレがいい球は、懸河のドロップと呼ばれます。
沢村栄治や金田正一、権藤正利らの名投手が得意としていました。
バッターから見ると、まるで一度浮き上がってから落ちるように見えたとか。
懸河とは川の上流のことで、流れが急なことに例えられています。
一時期は投げる投手が減りましたが、近年、また見直されたのか、投げる投手が増えてきています。

衣笠祥雄選手が鉄人と呼ばれた元々の理由

連続出場記録を持ち、鉄人と呼ばれた広島カープの名選手、衣笠祥雄氏。
怪我をしても試合に出場するほど丈夫だから「鉄人」と呼ばれたのも事実ですが、背番号が元々28番であったため、鉄人28号から連想されたのが先です。
当時の世界記録である2215試合連続出場ばかりが取り上げられますが、2500本を超える安打と500本以上の本塁打、さらには盗塁王を獲得したこともあるなど、走攻守揃った名選手でした。
2018年4月23日に惜しくも亡くなられたが、この日は息子さんの誕生日だったとか。

最も長身だった日本人プロ野球選手は誰?

日本人プロ野球選手で最も高身長だったのは、元巨人軍の馬場正平投手です。
身長209センチ。
そう、後のプロレスラー、ジャイアント馬場選手です。
二軍では活躍しましたが、病気やケガもあり、一軍では活躍できませんでした。
風呂場で転んだ際のケガが致命的だったとか。
ちなみに、こちらも活躍はできませんでしたが、プロゴルファーの尾崎将司選手や俳優の八名信夫氏も元プロ野球選手です。
運動神経のいい人間はみんなプロ野球を目指した時代の名残かと思われます。

世界のホームラン王は王貞治選手ではない?

メジャーリーグのホームラン王は、バリー・ボンズ選手でその数762本です。
一方、王貞治選手は日本のプロ野球で868本の本塁打を放っており、こちらは世界記録と言われています。
しかし、実はニグロリーグやキューバリーグで活躍し、「黒いベーブ・ルース」とも呼ばれたジョシュ・ギブソン選手が972本の通算本塁打を放っているという説があります。
ニグロリーグは当時メジャーリーグよりもレベルが高かったという説もあり、参考記録とはいえ無視できない数字です。
ただし、この本塁打数には公式戦ではない試合も含まれているという説もあり、正確な本数は不明とも言われています。

金田正一氏は最多敗戦記録も持っている

プロ野球史上、不滅の記録とも言える、通算400勝をあげている金田正一投手ですが、同時に298敗という最多敗戦記録も持っています。
これは国鉄スワローズという弱いチームに長年所属したことが原因です。
守備がまったくアテにならず、三振を取って打ち取るしかなかったと言われており、結果、最多奪三振の記録も所持しています。
しかし、そんなチームだったから金田氏は監督を飛び越えて指示を出し、味方が逆転して勝ち投手の権利が取れそうになったら急遽登板するなど、好き勝手していたとか。
ただし、身体には気を遣い、食べる物や飲み水、ヒジのケアなどにもこだわった初めての選手とも言われています。
いずれにせよ、タフでなければできない記録ですね。

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