謎多き人物、サッチーこと野村沙知代氏は改名経験がある。元の名は?

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出生名は?ミスコン優勝歴も

ノムさんこと、野村克也氏の夫人として知られ、一時期タレントとしても存在感を示していた故・野村沙知代氏。

1932年3月26日生まれ、2017年12月8日没。

出身地は福島県西白川郡西郷村。

出生名は伊東芳枝といいます。

父が都営バスの運転者をしていたため、幼少期を東京で過ごしますが、空襲により故郷の福島に戻ります。

高等学校卒業後、電電公社で電話交換手として勤務。

この頃、ミス白河に選出され、新聞に掲載されたことも。

これを契機に電話交換手を退職し、東京に舞い戻ります。

最初の夫はアメリカ人

沙知代さんの弟、伊東信義さんは、状況証拠から、戦後はその美貌を武器に米兵相手の娼婦をしていたと証言しています。

そのお金を実家に仕送りしていたと推測されています。

米軍将校(アルビン・ジョージ・エンゲル)と結婚し、ケニーとダンのふたりの息子を生みますが、後に離婚。

前夫であるアメリカ人と別れたあと(1976年8月)に、沙知代と改名しました(戸籍まで変えているのかどうかは不明)。

ちなみに前夫は、後にハワイで自殺しています。

出会いは中華料理店

後にプロ野球選手となるカツノリが生まれたときは、ノムさんも沙知代氏もまだ前の配偶者と離婚しておらず、ダブル不倫の中、生まれた私生児という形でした。

前夫との間に生まれたふたりの息子、長男のダンは団野村として、日本人選手をメジャーへ紹介するエージェントとして、今も活躍しています。

弟のケニーはプロ野球選手になったものの大成できず、やがて、兄とともに母親と絶縁し、暴露本を書いています。

しかし、ふたりとも野村克也氏との仲は絶縁しておらず、後にケニーは克也氏の仲介で沙知代氏と和解しています。

沙知代さんがオーナーで、ノムさんが監督もした少年野球チームの監督を務めもしました。

国政選挙に出馬したとき、コロンビア大学卒と学歴詐称をしたり、父親は会社社長をしていると語っていたそうですが、実際は農家の娘だったらしく「結局、最後まで彼女の正体はわからなかった」とノムさんは語っています。

出会いは高級中華料理店でしたが、当時、沙知代さんは野球のことをまるで知らず、当然ながらノムさんのことも知りませんでした。

野球好きだった息子たちからノムさんが有名選手だと聞き、慌てて沙知代さんの方から連絡をし、交際が始まります。

あくまで妻をかばうノムさん

「沙知代の経歴は嘘だらけだったよ」とノムさんはサッチーが亡くなったあと語っています。

「しかし、それだけ俺と結婚したかったんだろ」とも。

なお、ノムさんが前の奥さんを捨てて、沙知代氏と結婚したというのは事実ではなく、前の奥さんのほうが先に不倫していたのが原因ということです。

相手が一般人ということもあって黙っていたとか。

ただし、前妻との間に生まれた息子、陽一さんはこのことを否定しています。

ノムさんの現役時代、用兵や球団運営に口出しするなど、選手たちからは煙たがられていましたが、当時、ノムさんは「そんなことはなかった」とかばっています。

しかし、沙知代氏の死後、「そんなことがあったみたいだな」と一部認めています。

ちなみに沙知代氏の介入にうんざりした選手の代表たちがノムさんに忠告をしに行ったら、翌年、トレードに出されたなんてこともありました。

最終的に南海ホークスから追放された際、ノムさんは沙知代さんをかばい、南海の元老だった鶴岡一人元監督らの陰謀であると主張しています。

紆余曲折があり、ノムさんはヤクルト監督として実績を残したわけですが、阪神監督としては低迷。

やがて、沙知代さんが脱税事件を起こしたこともあり、阪神の監督を辞任する羽目となりました。

阪神球団はあと1年野村監督で……と考えていたそうで、「嫁の問題で2回も監督をクビになったのは私くらいだ」とノムさんはぼやいています。

サッチーと呼ばれて

当初は野球のことなど何も知らなかった沙知代氏ですが、後に少年野球チーム「港東ムース」のオーナーとして辣腕をふるい、日本一を達成しています。

一時期、自分に付け届けをしない親の子は起用しないなんて報道されたこともありました。

ミスをした子どもやその母親への暴力、さらには自身の選んだ進学先へ行かない子どもは排除するなんて報道もありました。

一方で、月謝は5,000円でしかなかったのに、その額で多摩川グランドや神宮の室内練習設備が使えたなど、かなりの野村家からの持ち出しがあったと見る向きもあります。

ちなみにチーム名の「ムース」というのは野村克也氏のあだ名です。

ヘラジカの一種で「普段はのそっとしているがいろいろな動きによく反応している」姿がノムさんに似ているということで名づけられました。

日米野球で対戦した際、メジャーリーグの名選手ウイリー・メイズに名付けられました。

沙知代さんの愛称サッチーというのは「笑っていいとも」に出演した際、中居正広に名付けられたものです。

浅香光代さんと喧嘩になるなど、何かと物議を醸す人物でしたが、ノムさんとは余程相性が良かったでしょう。

この人がいなかったら、名選手、名監督として、ノムさんは名を残せなかったかもしれなかったわけで、運命とは不思議なものだと思います。

以下、参考文献




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