高校野球史上、最高の投手は誰か……江川?桑田?何人か紹介します。

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毎年、数々のドラマを生む春・夏の高校野球甲子園大会。

後にプロに行って活躍する者もいますし、甲子園で燃え尽きてしまう者もいます。

その中でも、投手について、甲子園の歴史に名を残している選手を何人か紹介したいと思います。

嶋清一(和歌山・海草中)

戦前の名投手。

左腕から繰り出される速球と「懸河のドロップ」と呼ばれる鋭いカーブを武器にしていました。

昭和14年の夏の甲子園大会では、甲子園史上初の5試合連続完封を達成して優勝。

しかも、準決勝と決勝ではノーヒットノーランを達成するという史上唯一の記録を達成しています。

決勝のノーヒットノーランは、平成10年に松坂大輔投手が達成していますが、嶋清一以来、実に59年ぶりのことでした。

大学に進学したものの、徴兵され、24歳の若さで亡くなられたことが惜しまれます。

江川卓(栃木・作新学院)

高校時点ですでに150キロを超す球を投げ、「怪物」と呼ばれた名投手。

あまりの剛速球にバッターがファウルチップを打っただけでも歓声があがったという逸話があります。

しかし、味方打線があまりに弱かったため、甲子園には3年時の選抜と夏の2回しか出場できませんでした。

甲子園でも打線の弱さにより、敗れることになりますが、甲子園での通算成績は6試合で59イニングと1/3を投げ、自責点3、防御率0.46、奪三振92、奪三振率14.0というすさまじい記録です。

甲子園に限らなければ、完全試合2回、ノーヒットノーラン9回という記録があり、県大会では予選5試合中3試合でノーヒットノーラン、打たれたヒットは2本だけ、140イニング無失点などという驚異的な記録を残しています。

プロ入りの際、様々なトラブルがあって、伸び盛りの時期に最高レベルの練習ができなかったことが、今も悔やまれています。

プロ入り後は135勝をあげ、多くの投手タイトルを獲得していますが、全盛期は高校時代だったと言う人も。

松坂大輔(神奈川・横浜高)

平成の怪物と呼ばれた投手。

甲子園では11勝0敗と無敗です。

それどころか、平成10年の大会では春・夏甲子園連覇も含み、公式戦41連勝で負けなしという凄まじさです。

特に夏の甲子園大会は伝説として語り継がれています。
準々決勝で延長17回を戦い、250球を投げ、9対7で逆転勝ち。

準決勝は前日の疲れから最後の1イニングしか投げなかったものの、0-6の劣勢から8回、9回と打線が目覚め、7-6の大逆転勝利。

伝説はそこで終わらず、なんと翌日の決勝戦で嶋清一以来、59年ぶりの決勝でのノーヒットノーラン。

まさに松坂のためにあるような年でした。

その後はプロ入りし、メジャーリーグでも活躍。
近年はケガで不本意なシーズンが続いていますが、復活が期待されるところです。

※結局日本球界に復帰しましたが、かつての豪速球は戻らず、長いリハビリの果てに引退となりました。

野口二郎(愛知・中京商)

こちらも戦前に活躍した名投手です。

春・夏合わせて、2度の優勝、1度の準優勝。

特に昭和13年の夏の大会では、4試合連続完封で優勝。
ノーヒットノーランも達成しています。

しかも、そのときの対戦相手は嶋清一を擁する海草中でした。

プロ入り後も237勝をあげ、年間40勝を達成したこともあるタフな投手です。

また、打者としても31試合連続安打の記録を持っていて、二刀流の走りとも言える投手でした。

吉田正男(愛知・中京商)

野口二郎の先輩に当たる投手です。

甲子園に6季連続で出場。

内優勝3回、準優勝1回、甲子園通算23勝は史上最多になります。

特に夏の甲子園では14戦無敗で、勝利数も最多ですし、夏の大会3連覇も史上唯一の記録です。

昭和8年の夏の大会では、ノーヒットノーランも達成、さらに明石中相手に伝説の延長25回、336球完封勝利という凄まじさ。

明治大学に進学、在学中に一時肩を痛め外野手に転向、卒業後、プロ入りを検討したものの、当時はまだプロ野球の地位が高くなく、就職して社会人野球で活躍されました。

桑田真澄(大阪・PL学園)

清原和博との「KKコンビ」が今も記憶に新しいPL学園のエース。

5季連続甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回、あとの1回もベスト4です。

投手としては小柄な身体(172センチ)ながらも、回転のいい球を投げ、1年生時からエースとして活躍。

甲子園では、当時、強力打線で最強を誇った池田高校を完封する鮮烈なデビューを飾っています。

甲子園通算20勝は戦後最多ですが、打撃成績も優秀で、甲子園でも通算6本の本塁打を放っています。

ちなみに最多は清原の13本で、桑田は2位タイとなります。

プロ入り後も178勝をあげる活躍。

高校時代はプロ入り後のことを考えて、あまり変化球を投げなかったという説もあります。

板東英二(徳島・徳島商)

高校野球の甲子園大会で一大会の最多奪三振記録を持っているのは、桑田真澄でも松坂大輔でもありません。

現在タレントとしても活躍する板東英二です。
その数なんと83奪三振。

ちなみに準々決勝の魚津戦では延長18回を投げ切って25の三振を奪っています(結果は引き分け)。

これは一試合における最多奪三振でもあります。

しかも、再試合も9回を投げぬき、さらに準決勝も相手を1安打に抑え、14の三振を奪って完投。

決勝こそ、疲れて0-7で敗れたものの、完投しています。

実は、高校野球に延長18回引き分けという規定を作らせたのがこの人で、予選で延長16回を投げた翌日に延長25回を完投したのを見た高野連が規定を作りました。

プロ入り後は高校時代の酷使が祟ったのか77勝で引退しましたが、その後のタレントや評論家としての活躍は言うまでもありません。

プロ入りしたときから、サイドビジネスに励んでいたと言われていますが、ただのゆで卵好きの脱税おじさんではないのです。

他にも色々な名投手はいるかと思いますが、長くなりすぎるのでこのへんで。

戦前と現代では野球のレベルは違うかと思いますが、甲子園ナンバーワン投手はこの中にいるのではないですかね……


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