ビートルズマニアなら知っているかな……というレベルの雑学あれこれ

芸能系

はじめに

20世紀を代表する音楽家「ザ・ビートルズ」。
来日したことが歴史の一部になるなど、巨大すぎる存在です。
実は世界中にあるファンクラブの中で、日本のファンクラブが世界最高の会員数を誇ります。
そんな世界一有名な彼らについて、ファンなら知っているかな……というレベルの雑学をいくつか記してみます。

デビューまでの簡単な経緯

ジョンが仲間たちとバンドを始めました。
メンバーやバンド名は固定されておらず、「クォリーメン」や「レインボーズ」などと、そのときの気分で名前を決めていました。
やがて、彼らの演奏を見たポールがジョンに会い、実力を認められ加入します。
さらにはポールの紹介でジョージが加入。
ジョンの友人たちが辞めていき、三人になったところに、ジョンの友人スチュがベーシストとして参加。
ドラムが必要ということでクラブ経営者の息子で、ドラムセットを持っていたピート・ベストを誘う。
ジョン、ポール、ジョージ、スチュ、ピートという五人でメンバーがほぼ固定されて、この五人でハンブルグへ修行に行きました。
この頃は「シルヴァービートルズ」と名乗っていました。
ハンブルグでは、当時、別のバンドにいたリンゴと出会います。
スチュが絵の道に進むことになり、脱退。
ポールがギターからベースに回りました。
バンド名を「ビートルズ」とし、デッカ社のオーディションに参加しますが、不合格に(後にこのときの審査員は全員クビ)。
後にEMIのオーディションを受けて、こちらは合格しました。
傘下のパーロフォンレーベルにてデビュー。
このとき、なぜかピートが急遽クビになり、リンゴが代わりに加入します。
「ラブ・ミー・ドゥ」でデビュー。
チャートでは17位を記録しました。
リンゴは急な加入であったので、デビュー曲のシングル版は別のスタジオドラマーが演奏しています。
この後の快進撃は言うまでもないですね。
なぜ、ピート・ベストがクビになったのかは未だに謎のままです。
ピートが一番男前で女の子に人気があったから、他のメンバーが嫌ったなんて噂まであります。
元メンバーのスチュこと、スチュワート・サトクリフは、その後、病気のため若くして亡くなりました。
スチュの恋人アストリッドは、後にビートルズのアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」のジャケット写真を撮影します。
ハーフ・シャドウと呼ばれる暗闇に顔が浮かぶような撮影手法は当時斬新で、絶賛されました。
スチュの生涯や、ビートルズ結成までの経緯は、バックビートという映画で紹介されています。


ビートルズという名前について

当時、クリケッツというグループが存在していました。
スポーツのクリケットと、こおろぎを意味するクリケットをかけ合わせたダブルミーニングという手法で付けられた名前です。
同じような感じの名前が作れないかと、ジョンとスチュが考え、カブトムシのビートル(beetle)と音楽用語のビート(beat)をかけ合わせ、ビートルズという名前が生まれました。

アルバムチャート独占

イギリスのアルバムチャート1位をほぼ一年間(51週)独占しました。
しかも、デビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を1位(30週)から蹴落としたのは、二作目のアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」(21週)です。

ビルボードチャートも独占

1964年4月4日付でアメリカのビルボード・チャートを1位から5位までビートルズの曲が占めたことがあります。
それ以外にも7曲がトップ100にランクインしていまず。
2019年にアリアナ・グランデが1位から3位までを占める記録を達成していますが、1位から5位までは他に誰もいません。
当時、アメリカでビートルズのレコードを販売するレーベルが固定されていなかったので、購入が分散したのが一因と言われています。
なお、ビルボードで20曲が1位になっているのも最多記録です。

シンガーソングライターの初め?

当時は作詞、作曲、演奏、歌をすべて自分たちでするグループはありませんでした。
探せばあったのかもしれませんが、少なくとも、それを普通にしたのはビートルズです。
世界中の少年少女にギターを持たせた存在とも言えますね。
デビュー曲がオリジナルというグループも珍しかったそうです。
また、メンバー全員がボーカルを務めることができるグループは今でも珍しいです。

MV(ミュージックビデオ)を初めて作成した?

イメージ画像を合わせて、曲を紹介するミュージックビデオ。
初めて作ったのも彼らだと言われています。
当時はラジオからモノクロテレビ、カラーテレビへの移行期で、タイミングにも恵まれたとも。

自らの会社を作った

アップル社という会社を設立。
ミュージシャンが自分の会社を作り、自社レーベルでレコードを出したのも初めてでした。
レコード発売だけではなく、当初は小説を募集したり、音響技術への投資を行うなどしていました。
しかし、音楽事業以外はほとんど失敗で、現在はビートルズの権利関係を扱う会社となっています。
iPhoneで有名なアメリカのアップル社とは社名を巡って裁判沙汰になりましたが、一応は和解しているようです。

スタジアムコンサート

あまりの人気に普通の会場では収容できなくなり、スタジアムでコンサートを行うことになりました。
もちろん初めてのことです。
当時の技術では、歓声で演奏の音が聴こえないような状態で、デタラメな歌詞で歌っていたなんて話も。
後に嫌気がさした彼らはライブ活動を停止します。
なお、日本武道館でコンサートを行なった初めてのグループでもあります。
当初は日本武道の聖地で外国人のコンサートを行うとは何事かという抗議もありました。
しかし、日本人の行儀が良く、観客がちゃんと音楽を聴いてくれたことと、歌に合わせて白いハンカチを振る姿にメンバーは感激したと伝わっています。

コンセプトアルバム

ビートルズ以前の歌手のアルバムといえば、シングル曲の寄せ集めというものばかりでしたが、最初の曲から最後の曲まで一貫したテーマでつながりを持たせたのが彼らと言われています。
「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」というアルバムです。
このアルバムでは表題にある架空のバンドがコンサートで演奏しているという形式で作られています。
なお、このアルバムは当初1967年に発売され、当然チャート1位に輝きましたが、2017年にリマスター版が発売された際にも1位となり、50年ぶりに1位となりました。
この期間の長さはギネス記録です。
<2019.10.31追記>
2019年に同じビートルズのアルバム「アビーロード」が記録更新。


「エド・サリバン・ショー」に出演した結果

当時、アメリカで人気だった「エド・サリバン・ショー」という番組にゲスト出演。
トークのあと、何曲か演奏しています。
彼らが出演した日、ニューヨークで少年少女による犯罪が0だったことが話題となりました。

フィリピンでの騒動

フィリピンでコンサートを行う際、当時権力を握っていたマルコス大統領の夫人イメルダ氏から招待を受けましたが、連絡がうまくいっておらず、すっぽかす形となった。
これに対し、フィリピン国民が侮辱されたと怒り、メンバーは空港にて、小突き回されながら、逃げるように同国を去ることになります。
最終的にコンサート収入をすべて当局に渡すことで、飛行機が飛ぶことになりましたが、この経験がメンバーからコンサートをする意欲を失わせる原因になったとも言われています。

アメリカでの称賛と非難

アメリカでは当時公民権運動により、人種隔離政策が廃止されていましたが、まだ根強い差別があり、一部のコンサート会場では人種別に席が分けられているところがありました。
これについて、メンバーたちは馬鹿げていると判断し、そのような場所では演奏しないと宣言。
称賛を浴びます。
しかし、後にジョンが「ビートルズは今やイエス・キリストより有名だ」と発言したことが、アメリカで物議を醸し、不買運動やレコード焼き討ちなどの扱いを受け、釈明会見を行うことになります。
21世紀に入って、バチカンはこの発言を許す旨の声明を出しています。

アルバム「レット・イット・ビー」について

ビートルズ最後のアルバムとなった「レット・イット・ビー」(録音時期は「アビーロード」の方があと)。
元々、「ゲット・バック」というタイトルで発売される予定だったアルバム用に、当時不仲だったメンバーたちが集まり、半ば好き勝手に演奏した曲を収録しました。
しかし、これらの曲を誰もまとめようとする気がなかったため、当時、評価されていたフィル・スペクターというプロデューサーに編集が託されます。
フィル・スペクターという人物は多重録音するやり方を得意とした人物で、結果、元の曲にかなりの加工が加えられました。
それはそれで評価されたのですが、ポールは一部の曲のアレンジに憤慨。
このエピソードがファンの間で有名だったこともあり、2003年に「レット・イット・ビー・ネイキッド」というアルバムが、フィル・スペクターが加工した部分を最新技術で取り除く形で発売されました。

イエスタディは単なる失恋歌ではない

世界で最も放送され、最もカバーされた曲とされる名曲イエスタディ。
歌詞の内容を見る限りは、自分の元を去って行く女性への失恋歌ですが、実はポールが若くして亡くなった母への想いを込めています。
だから、世界中の人の胸を打つのかもしれません。
ポールの母の名前はメアリーで、レットイットビーの歌詞に登場するマザーメアリーは聖母マリアでもあり、母メアリーでもあります。

ガチャピンとムックのモデル?

子供向け番組「ひらけポンキッキ」にガチャピンとムックというキャラクターが登場しますが、それぞれモデルがポールとジョンだという説があります。
タレ目とヒゲもじゃでメガネ……確かに似ていますね。
番組内ではプリーズ・プリーズ・ミーの一節が使われてもいました。

※メンバー個々のエピソードなど挙げればキリがないので、とりあえずはこれくらいで。
随時追加予定。

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