仏教・神道に関する雑学あれこれ どうして本願寺は東と西に分かれているのか?

地理・歴史系
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はじめに

クリスマスを祝い、除夜の鐘を聴き、神社に初詣に行くなど、宗教に無頓着な日本人。
ここでは、仏教と神道について、雑学をいくつか紹介します。

おみくじの起源は比叡山延暦寺

正月といえば、神社に初詣に行き、おみくじを引く人も多いですが、現在主流となっているおみくじは比叡山延暦寺が始まりと言われています。
10世紀中頃の天台座主に良源という人がいて、正月の3日に亡くなったから元三大師とも呼ばれていますが、この人が観音菩薩に祈願したところ、偈文を授かったことが由来とされています。
爆発的に全国に広まったのは、江戸時代、家康のブレーンのひとりだった天海僧正の夢に、この元三大師が現れてお告げをし、偈文100枚を信州戸隠で得たところから来ています。
現在も比叡山延暦寺ではおみくじを引くことができますが、それは吉凶を占うものではなく、進むべき道を示してくれるものだということです。

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お釈迦様が生まれてすぐ7歩歩いたのは何を表しているのか?

お釈迦様は母マーヤの脇から生まれたあと、すぐに七歩歩かれて、「天上天下唯我独尊」と言葉を発せられました。
では、なぜ七歩なのかというと、これは六プラス一、つまり、六道とそこから抜け出した仏の世界を表していると解釈されています。
ちなみに六道とは、人間界、天上界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界のことです。
人間界のみが仏教に触れることができる世界で、仏の世界へ行ける唯一の機会がある世界です。
それだけに人間に生まれたことを喜び、正しい生き方をすることで仏となり、輪廻の輪を抜けることを目指すよう説いたのが、仏教本来の教えです。

どうして水天宮は子供を守る神様と言われているのか?

水天とは元々インド(ヒンズー教)の神様ヴァルナです。
水の属性を持つ神様であり、仏教に取り込まれる際、水天とされました。
さらに、この水天が日本にて神仏習合され、天之御中主(あめのみなかぬし)や天之水分(あめのみくまり)神と同一視されました。
水分(みくまり)とは、元々水を分配するという意味合いですが、みくまりという音が、みこもり(御子守り)とつながるため、子供の神様となったのです。
日本人特有の言葉遊びというべきでしょうか。

本願寺が東と西に分かれているのはなぜか?

織田信長と浄土真宗本願寺派は、大坂にあった石山本願寺を舞台に長年戦いましたが、正親町天皇に仲介を頼む形で、信長は和睦を求めました。
このとき、本願寺を率いていた親子が、降伏するかしないかで揉め、結果ふたつに分かれました。
父親の顕如と三男の准如は和睦を、長男の教如は徹底抗戦を主張しました。
結局、父親と三男の意見が通り、石山本願寺を明け渡して和睦となりましたが、そのあと本能寺の変で信長が討たれたため有耶無耶になりました。
信長は和睦を結んだものの本願寺勢力の殲滅を狙っていたとされていて、結果的に本能寺の変により、本願寺勢力は滅ぼされずに済みます。
しかし、その後も父親の顕如と長男の教如の仲は険悪なままで、顕如は仕方なく三男の准如を後継者としました。
秀吉の時代に京都に土地を与えられ、建てられたのが今の西本願寺です。
とはいえ、秀吉も本願寺勢力を警戒していたので、顕如の死後、准如ではなく、教如を後継者に一旦指名し、分断を図ります。
ですが、本願寺側は正統な後継者は准如であると主張し、再び教如は追放され、兄弟の仲はさらに悪くなります。
秀吉の死後、同じく本願寺勢力の存在を警戒していた徳川家康が不満を持っていた教如に土地を与え、本願寺を建てさせました。
これが東本願寺です。
そのため、今も本願寺は東西に分かれているが、特に教えなどに違いはありません。
ただし、上記のような経緯があるので、決して仲が良いとも言えません。
東本願寺を「大谷派」、西本願寺を「本願寺派」と言って、一般的には区別されています。
ちなみに石山本願寺の跡地に秀吉が建てたのが大坂城です。
元々、本願寺は京都にありましたが、法華宗との争いに敗れて、信長と戦う頃には大坂に逃れていました。

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祇園祭の由来と意味

祇園祭の行われる八坂神社にはスサノオが祀られています
八坂神社は神仏習合の時代には祇園舎とも呼ばれました。
祇園舎というのは、釈迦が布教の拠点としたところで、そこを守護するのが牛頭天王です。
つまり、神仏習合ではスサノオ=牛頭天王ということになります。
共通するのは疫病を操る存在であることです。
操る存在ということは、怒れば疫病を撒き散らし、機嫌が良ければ治してくれます。
だから、怒らせないために、色とりどりの山鉾や歌舞音曲で喜んでもらうのです。
京都で疫病が起こったときに、とある僧侶が提案したのが始まりだといいます。

どうして狐は稲荷神社の使いなのか?

稲荷神社の祭神は、ウカノミタマを中心とする御食津神(みけつかみ)と呼ばれる食べ物を司る神様です。
この「けつ」という言葉が、関西弁で狐を「けつね」と呼んだことからつながり、稲荷神社の使いは狐ということになりました。
狐は田畑を荒らすねずみなどの害獣を退治してくれる存在でもありました。
狐の好物は油揚げとされて、お供えされていますが、あれはねずみの代用品です。
ちなみに稲荷神社は元々製鉄の神だったという説もあります。
「稲荷」ではなく、語源は「鋳成り」だったのではないかと言われています。
製鉄の神さまから農耕の神さまとなったのは、製鉄の発達により道具が作られ、作物がたくさんとれるようになったからとも、農耕を中心とする勢力が製鉄を中心としていた勢力を駆逐したからとも言われています。
また、狐はかつて「来つ寝」とも書き、遊女を表しました。
狐が人を化かすというのも、このことの暗示です。
陰陽師、安倍晴明の母は九尾の狐であったとされていますが、遊女だったか、貴族から人間扱いされなかった身分の女性だったのではないかと推測されています。
狐に限らず、河童や天狗、土蜘蛛などといった存在も、貴族たちから人間扱いされなかった人々の集団です。
当時、人間といえば、貴族たちだけであったのです。

空海と最澄は仲が悪かった?

エリートの伝教大師・最澄と、どちらかいうと叩き上げの弘法大師・空海。
中国に留学したのは同じですが、最澄はあまり密教を深く学ばなかったので、空海に教えてほしいと頼んでいます。
しかし、空海がそれを拒んだ上、後に空海の元に最澄が送り込んだ弟子が、空海に心服し、引き抜かれたため、ここで完全に決裂しました。
高僧同士なので、表立った喧嘩はしなかったと思われますが、面白くなかったのは事実でしょう。
なお、最澄の俗名は三津野首広野(みつのおびとひろの)であり、空海の俗名は佐伯真魚(さえきのまお)です。
最澄は近江出身、空海は讃岐出身です。
ちなみに関ヶ原の戦いのあと、真田昌幸、信繁(幸村)親子が流された九度山といえば、高野山のお膝元ですが、この九度山という地名の由来として、弘法大師空海が高野山にいるとき、息子会いたさに訪ねて来た母親に、空海が月に九度、山を降りて会いに行っていたからという説があります。
高野山は女人禁制だったので、母親は入山できなかったのですね。
しかし、江戸時代には九戸山と書かれている資料もあるらしく、弘法大師説は後から作られた説ではないかという見方もあります。

イザナギノミコトの隠居地は間違っている?

国作りを終えたイザナギノミコトは淡海(近江)の多賀に隠棲したと伝えられ、今は多賀大社という大きな神社が建てられています。
しかし、この淡海というのは淡路の間違いではないかという説があります。
記録者が文字の似ている淡海と淡路を間違えたという説です。
淡路にも多賀という地名があり、そこにもイザナギを祀る神社があります。
国作りを始めたとき、最初に作られたのは淡路島であることから、こちらの説のほうが有力かもしれません。

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般若心経の作者は誰?

「般若波羅蜜多……」で始まる般若心経。
これは膨大な仏教の経典などから、もっとも重要な教えを抜き出し、短くまとめられたもので、作者は玄奘と言われています。
西遊記で有名な三蔵法師のことです。
ちなみに般若というのは、パンニャーというヒンズー語の当て字で、仏の智慧という意味です。

本地垂迹説とは何か?

本地垂迹説とは、簡単に言うと、仏教の考え方で、仏は教えを伝えやすいよう現地の神の姿を借りて現れるという説です。
例えば、大日如来という仏は、日本では天照大神の形で衆生の前に現れるという考え方です。
この形で、仏教は異教の神を取り込んで行きました。
例えば、帝釈天や多聞天などは、元はインド(ヒンズー教)神話の神様が仏教に取り込まれたものです。
明治に入るまで、日本各地には神仏習合の神社や寺がありました。
キリスト教は一神教なので、異教の神を悪魔としましたが、八百万の神がいる日本には、この考え方が合ったのでしょう。
ちなみに権現というのは、仮の姿で現れたという意味であり、東照大権現である徳川家康は、仏が家康という人間の姿でこの世に現れたとみなされています。

奈良の大仏様が作られた理由は? 国家鎮護? 怨霊封じ?

奈良の東大寺にある大仏様は、正確には毘盧遮那仏と言います。
マハーヴァイローチャナの当て字で、宇宙そのものと同一視される仏です。
一般的には国家鎮護のために作られたとされています。
当時、疫病などが流行したからです。
しかし、ウイルスの存在など知られていない当時、病気や自然災害が起こるのは、為政者の行いが悪いとか、祟りによるものだとされていました。
大仏を作らせた聖武天皇の妻は、藤原光明子、藤原氏の娘であり、初めて皇族以外から皇后になった光明皇后です。
つまり、大仏が作られたのは、当時藤原氏によって滅ぼされた政敵の祟りや、皇后に皇族以外がなってはいけないというルールを破ったことによる神の怒りだと考えた節があります。
異国の神である仏によって自分たちを守ろうとしたのです。

仏に女性はいない。

仏教において、女性は悟りを開いて仏陀となることは不可能とされています。
最近はいろいろな解釈があるようですが、本来はそうなっていて、女性が悟りを開いて仏になるには、一度男性に生まれ変わってからしか無理とされています。
薬師如来あたりは女性の姿に見えなくもないですが、男性です。
観音様もそうです。
もっとも観音様は観世音菩薩が正式名称で、仏ではありません。
菩薩というのは、仏にまであと一歩という存在か、仏になる力はあるが、あえてこの世に残って衆生を救うことを選んだ存在です。
七福神のメンバーでもある弁財天は女性ですが、弁財天は天部と呼ばれる仏教の守護者のひとりで、インド古来の神が仏教に取り入れられたものです。
いずれにせよ、仏とか如来と呼ばれる輪廻の輪を抜けた存在ではありません。
なお、仏になれるのは人間だけと言われています。
他の生き物に生まれても仏にはなれません。
だから、人間界に生まれたことをありがたく思い、仏になれるよう心正しく生きようと釈迦は説いています。

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お盆の起源はウランバーナ

お盆の起源について、伝説では釈迦の弟子のひとりが地獄を覗いたら、自分の母が餓鬼道に堕ち、飢えて苦しんでいたので、なんとか助けてやれないかとお釈迦様に相談したのがはじまりです。
お釈迦様は多くのものに食べ物を施す功徳を行えば、母の元へも食べ物が行き渡るだろうと教えられ、そのとおりにしたところ成功したという話があります。
盆のときに野菜に串を刺して川に流すことや、食べ物を供える施餓鬼などという行事もここから来ています。
このウランバーナという行事が中国に渡り、儒教とも交わり「盂蘭盆」と呼ばれる行事となります。
それが日本に伝わり、「お盆」へとつながりました。

最も信憑性が高い仏舎利はタイの王様が持っている。

世界中に伝わる仏舎利。
すべて足すと釈迦は60メートルほどの巨人になるといいます。
仏舎利の中でもっとも本物ではないかと言われているものは、現在タイの王様が所持しています。
釈迦入滅の地で発見されたもので、年齢、年代ともに合うとか。
一部は砕かれて、世界中に配られており、日本でも愛知県にある寺に納められています。

なぜ、鬼は牛のような角があり、虎柄の腰巻きを巻いているのか

鬼には牛のような角があり、虎柄の腰巻を履いていますが、それは不吉とされる鬼門の方角が、丑寅(うしとら)の方角であることから来ています。
丑寅の方角とは北東のことです。
京都から見て鬼門である北東を守るために比叡山延暦寺があります。
歴史上、勢力争いに敗れた人たちは、鬼だの土蜘蛛だの天狗だの言われました。
昔、人と呼ばれるのは貴族だけでした。
豆まきで「鬼は外」などと言っていますが、鬼は我々の先祖かもしれません。
ちなみに中国でいう鬼は幽霊のことで、鬼籍に入るという表現はそこから来ています。

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