Jリーグを作った偉大なる漫画「キャプテン翼」。
今や世界的な漫画となりましたが、ツッコミどころ満載なのもこの漫画の魅力です。
いくつか雑学を書かせていただきます。
異常に多い交通事故
この漫画には異常なまで交通事故のエピソードが多いです。
そもそも第一話からして、主人公の大空翼が幼い頃、トラックにはねられたものの、ボールがクッションがわりになり無傷、というエピソードから始まっています。
翼の相棒、岬太郎は妹を助けようとして左脚を大ケガし、ワールドユース大会のほとんどを棒に振ることになります。
翼のライバル、日向小次郎はトラック運転手だった父を事故で亡くしており、小学生ながらも家計を助けるためアルバイトをする日々でした。
ふらののエース、松山光の彼女、藤沢美子は、ワールドユース大会の最中、交通事故で重傷を負い、一時、生死の境をさまよいました。
ドイツのエースストライカー、シュナイダーは、妹のマリーが車にはねられそうになりましたが、イタリアのGKヘルナンデスに助けられています。
オランダのエース、クライフォートは、サッカー選手として将来有望だった兄をオランダ史上最悪という高速道路での多重衝突交事故で亡くしています。
スウェーデンのMF破壊神レヴィンは、恋人を交通事故で亡くし、以後、相手を傷つけるような選手になりました。
空手の達人でもある日本代表GK若島津健は、子犬を助けようとして、トラックにぶつかり大ケガをしています。
ライジングサン編では、子供が車に轢かれそうになったところを、スペインの選手ミカエルがボールを蹴ることで惨事を防ぎました。
作者は交通事故に対して何かトラウマがあるのでしょうか?
石崎は若林と若島津から点を取ったことがある?
作品中、鉄壁を誇る若林源三と若島津健というゴールキーパーがいます。
それに対し、石崎了という代表に選ばれてはいるものの、どちらかいうと雑魚扱いで、ギャグ要員のキャラクターがいます。
この石崎がふたりから点を取ったことがあります。
ただし、それは自殺点でした。
若林の場合はオリンピック予選の対サウジアラビア戦で、若島津の場合は短期連載された日本代表対世界選抜の対戦で、石崎得意の自殺点が見事に決まりました。
この漫画では、「石崎といえば自殺点」というのが、ひとつの様式美となっています。
翼が負けた試合は2試合?
サッカーに関しては、超人的な能力を誇る主人公、大空翼。
彼は出場する試合のほとんどで勝利を挙げています。
はっきりと描かれている負けは、小学生時代の全国大会予選リーグで、ライバルの日向小次郎に負けた試合のみです。
しかし、W杯を記念して特別に描かれた読み切りで、日本代表がフランス代表に大敗するエピソードがあって、そこに茫然と立ち尽くす翼の姿が描かれています。
ただし、1コマで片付けられているので、翼が出場していたのか、ベンチ入りしていただけだったのかは不明です。
実質的には1試合だけということになりますかね。
引き分けは何試合かあります。
ポーランドのマッハーくんのモデルは誰?
キャプテン翼は何度かゲーム化されています。
特にテクモ社(当時)が作っていた時代の作品は、アクション一辺倒だったサッカーゲームにコマンド選択方式を取り入れ、革命を起こしたゲームとして高い評価を受けています。
その中でも二作目はストーリーも含めて最高傑作と言われています。
作者が描いたワールドユース編よりこちらのストーリーの方が面白いので、「こちらこそキャプテン翼の正史でワールドユース編は高橋陽一という人が描いた同人誌」だと主張する人もいます。
この2作目でポーランドにマッハーという高速ドリブルを行う選手が登場して、あまりの速さにプレイヤーは度肝を抜かれます。
ゲームのオリジナルキャラですが、モデルはポーランドのラトーという選手で、ワールドカップ西ドイツ大会で得点王に輝いた名選手です。
快速の右ウインガーで、後に政治家としても活躍しています。
ちなみに「ローマの鷹」と呼ばれるランピオンという選手も登場しますが、モデルは元日本代表監督でブラジル人のファルカンです。
また、最強の敵として、マッハー君と同じような高速ドリブルをするコインブラという選手が決勝戦に登場しますが、この人物のモデルは「白いペレ」の異名をとり、日本代表の監督も務めたジーコです。
アルトゥール・アントゥネス・コインブラという名前はジーコの本名と同じです。
なお、ジーコというのは「やせっぽっち」という意味です。
ブラジル人選手はあだ名やミドルネームを登録名にすることが多いです。
若林源三のSGGK伝説は何度破られているか?
第一話から登場する鉄壁のGK若林源三。
SGGK(スーパーグレートゴールキーパー)と呼ばれる存在です。
この若林は「ペナルティエリアの外からなら、どんなシュートも止める」と豪語していて、事実、凄まじいシュートたちを防いでいるのですが、実は何回かペナルティエリア外からゴールを奪われています。
まず、最初に奪ったのはドイツ代表のエースストライカー、カール・ハインツ・シュナイダーです。
ファイヤーショットという凄まじいシュートを放つ選手なのですが、若林とはハンブルグ時代、チームメイトであり、ライバルでもある存在でした。
このシュナイダーがジュニアユース大会の前に若林とPK対決をして、ペナルティエリアの外からファイヤーショットを放ったところ、若林は反応するものの取れませんでした。
普段からふたりはこういう対決をしていたような描写がありました。
公式戦ではありませんが、まずはこれが1回目。
続いて、ワールドユース大会のアジア予選にて、中国代表の肖俊光(しょうしゅんこう)選手にペナルティエリアの外からゴールを奪われています。
この選手は相手のシュートをタイミングよく撃ち返すカウンターシュート(技名・反動蹴速迅砲)を得意としています。
相手シュートの威力を利用して撃ち返すことで、シュートの威力が倍以上になるという仕組みになっています。
このシュートを若林は取れませんでした。
ただし、このとき、若林は腕を怪我していてパンチングしかできない状態でした。
そのシュートを取りに行けば、確実に腕は破壊されただろうと肖選手から言われています。
なので、取りに行かなかったのか、動けなかったのかははっきりとしていません。
とはいえ、若林自身は悔し涙を流し、翼も「若林くんがペナルティエリア外からゴールを奪われるのを初めて見た」というほどでした。
これが2回目となります。
続いて、ワールドユース大会決勝戦の舞台で、試合終了間際に登場したナトゥレーザ選手に高い打点から回転をかけたオーバーヘッドキックを放たれ、反応はしたものの取ることができませんでした。
そのシュートは芝が少し剥がれたポイントを狙って放たれており、そこにボールが当たったことで、反対方向に曲がるという動きをしました。
これが3回目となるのですが、このとき、若林の師匠である見上氏が「源三のSGGK伝説が終わった」とがっくりとしています。
ということは、中国戦での肖選手のシュートはノーカウントだったのかという疑問が残ります。
さらに時代は進み、ブンデスリーグを舞台をした試合で、プロとなりハンブルグに所属している若林は、シュナイダー率いるバイエルンと対決することになります。
この試合で、試合終了間際のFKからのパスを、オーバーラップした若林が蹴るというシーンがありましたが、これが相手に阻止され決まりませんでした。
結果、中盤あたりに待機していたシュナイダーにパスが通ってしまい、無人のゴールにシュートを決められています。
これを4回目とカウントするかどうかは微妙なところですが、公式戦では3回、個人的な対決で1回、若林はペナルティエリアの外からシュートを決められていることになります。
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