現代のトイレは快適そのものだ。ウォシュレット完備、消臭機能つき、暖かい便座……もはや小さな個室スパといっても過言ではない。
しかし、ほんの数百年前のトイレ事情は、想像を絶するレベルでひどかった。
今回はトイレの歴史を古代から江戸時代まで時系列で振り返ってみたい。読み終わったあと、きっと今のトイレに感謝したくなるかも。
古代文明:実はトイレ先進国だった
文明の黎明期、トイレ事情は意外にも悪くなかった。
古代インダス文明(紀元前2500年頃)の遺跡モヘンジョ=ダロでは、水洗トイレの原型ともいえる排水設備が発見されている。各家庭に個室トイレがあり、汚水を街の外に流す下水道まで整備されていたというから驚きだ。現代より4500年も前の話である。
古代ローマも負けていない。公衆トイレ「フォリカ」は石造りのベンチに穴が並んだ構造で、10人以上が並んで用を足せる仕様だった。仕切りはない。完全にオープンだ。ローマ人にとってトイレは社交の場でもあり、用を足しながら政治や商売の話をしていたというから、なかなかのオープンマインドである。
ちなみに拭くものは「テルソリウム」という、棒の先にスポンジをつけた共用器具だった。使ったら水で洗って次の人へ。……現代人には到底マネできない文化である。
中世ヨーロッパ:人類史上最悪レベルの時代
古代の衛生意識はどこへやら、中世ヨーロッパのトイレ事情は人類史上でも指折りの悲惨さだ。
おまるに用を足したら、窓から道路へ「エーン・ガルデ(水ですよ!)」と叫んで投げ捨てる。それがマナーだった。叫んでも叫ばなくても、道路が糞尿まみれになる事実は変わらないのだが。
パリやロンドンの街は常に悪臭が漂い、雨が降れば汚物が川のように流れた。ハイヒールが発明されたのは道の汚物を避けるためという説があり、香水文化が発達したのも体臭や街臭を誤魔化すためだったとされる。文化の裏には切実な事情があるものだ。
とどめはヴェルサイユ宮殿だ。あの豪華絢爛な宮殿、実はトイレが圧倒的に不足していた。貴族たちは廊下の隅や階段の陰、庭の茂みで平然と用を足していたという記録が残っている。ルイ14世の時代、宮殿は外見の華やかさとは裏腹に、強烈な臭いに包まれていたらしい。
日本の古代〜平安時代:貴族もなかなか大変だった
一方、日本はどうだったか。
古代の日本では川や池のほとりに張り出した「川屋(かわや)」が使われていた。川の上に板を渡し、そのまま川に落とす豪快な方式だ。「厠(かわや)」の語源がこれだという説がある。
平安時代の貴族は「樋箱(ひばこ)」という木製のおまるを使用。用を足した後は女房が処理するという、なんとも気まずい役割分担だった。紫式部や清少納言も、毎日この作業に関わっていたと思うと、源氏物語や枕草子の優雅なイメージが少し揺らぐというものだ。
京都の辻壺:街角が便所だった時代
中世から近世にかけての京都には、「辻壺(つじつぼ)」と呼ばれる文化があった。
街の辻(交差点や路地の角)に大きな壺や桶が置かれており、通行人が自由に用を足せる場所として機能していたのだ。現代でいえば公衆トイレに近い存在だが、屋根も仕切りもない完全オープンな代物である。
京都の町衆はこの辻壺の糞尿を農家に売り、肥料として活用していた。つまり辻壺は単なるトイレではなく、町のリサイクルステーションでもあったわけだ。壺の所有者にとっては立派な収入源だったというから、ビジネスとしてなかなか目の付けどころがよい。
しかし当然ながら、夏場の辻壺の周囲は凄まじい臭いだったとされる。観光地として知られる京都の古い街並みも、当時は別の意味で強烈な印象を与えていたに違いない。
江戸時代:糞尿がお金になった驚きのリサイクル社会
江戸時代になると、日本のトイレ事情は世界的に見ても独特の進化を遂げる。
なんと、糞尿に商品価値が生まれたのだ。農家が江戸の長屋から糞尿を買い取り、畑の肥料として活用する「下肥(しもごえ)」文化が確立された。大家は店子の糞尿を農家に売り、それが副収入になった。
さらに興味深いのが「身分による糞尿の価格差」だ。上等な食事をしている武家屋敷の糞尿は高値がつき、粗食の庶民の長屋のものより高く売れたとされる。食べるものが良ければ出るものも良い、ということか。身分制度はトイレにまで及んでいたわけだ。
この完璧なリサイクルシステムのおかげで、江戸の街は同時代のヨーロッパの都市と比べると格段に清潔だったとされる。西洋が糞尿を道に捨てていた同じ時代に、日本では糞尿が経済を回していたのだから、文明の方向性というのは実に面白い。
江戸の長屋のトイレ事情:共同便所の実態
江戸時代の庶民が暮らした長屋のトイレ事情も、なかなか興味深い。
長屋には「共同便所」が設けられており、複数の家族がひとつの便所を共用するのが一般的だった。棟割長屋(複数の住戸が連なる形式)では、10軒前後が2〜3か所の便所を共有することも珍しくなかったという。
便所は木製の囲いで仕切られた簡素なもので、穴の下に桶や甕(かめ)が設置されている構造だ。溜まった糞尿は定期的に「汲み取り屋」が回収していった。この汲み取り屋もまた農家への販売ルートを持つ、れっきとしたビジネスだった。
また、長屋の住人にとって共同便所は単なるトイレ以上の場所でもあった。毎朝同じ時間に顔を合わせるため、近隣住民の「情報交換の場」としても機能していたとされる。現代のSNSのような役割を、江戸時代は便所が担っていたといえるかもしれない。
なお、夜中にトイレに行きたくなった場合は「おまる」を使うことも多かった。共同便所まで外を歩くのは夜間には不便だったためだ。使用後のおまるは翌朝まとめて処理するか、そのまま共同便所に持ち込むスタイルが一般的だったという。
まとめ:現代のトイレは人類の到達点
古代ローマの共用スポンジ棒、中世ヨーロッパの窓からポイ捨て、平安貴族の樋箱、京都の辻壺、江戸の糞尿売買と長屋の共同便所……人類はさまざまな試行錯誤を経て、現代のトイレにたどり着いた。
ウォシュレットに感謝しよう。便座ヒーターに感謝しよう。そして何より、窓から何も降ってこない現代の街に、心の底から感謝しよう。
次にトイレに入ったとき、人類の歴史の重みを少しだけ感じていただければ幸いだ。


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