ザ・ドリフターズに関するエピソードあれこれ 紅白を一度辞退?

芸能系
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はじめに

国民的お笑いグループ、ザ・ドリフターズ。
これまで、メンバーのプロフィールや「8時だヨ!全員集合!」に関する雑学を紹介させていただきましたが、それ以外にも多くのエピソードがあるので、別記事として紹介させていただきます。
ただし、メンバー個々の記憶が曖昧だったり、エピソードをギャグとしている部分もあるので、すべてが事実かと言えば怪しいところもあります。
予めご了承ください。
(文中:敬称略)

ドリフメンバーのプロフィールに関する雑学あれこれ
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「8時だョ!全員集合」に関する雑学あれこれ 三大事件とは?
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メンバーの変遷

ザ・ドリフターズのリーダーといえば、いかりや長介が真っ先に思い浮かびますが、実はいかりやは三代目のリーダーです。
初代は岸部清という人で、ドリフを結成しましたが、すぐにプロデュース業へ転身。
芸能プロ、第一プロダクションの社長となりました(※2019年に死去されました)。
二代目は桜井輝夫という人で、いかりや、加藤をスカウトしました。
後にプロモーターに転身されたとか。
この頃のドリフには、坂本九も一時期参加していたこともあるとか。
当時はバンドの結成や解散というのが当たり前のようにあり、腕のいい演奏者はすぐに引き抜かれていたようです。
そして、三代目がいかりや長介です。
この頃のメンバーは、いかりや長介、加藤茶、小野ヤスシ、飯塚文雄、猪熊虎五郎、ジャイアント吉田の6人でしたが、いかりやの路線に反発した、加藤茶以外の四人が独立し、「ドンキーカルテット」というグループを結成されました。
加藤茶もどちらに着くか迷ったそうですが、結局ドリフに残りました。
「いかりやが怖い顔で脅迫するものだからさー」と、よくギャグにされています。
加藤茶自身は小野ヤスシらと仲違いしたわけではなく、小野ヤスシが亡くなるまで親交があったようです。
とにかく、2人ではバンドが組めないので、いかりやがスカウトして、高木ブー、仲本工事、荒井注、綱木文夫が加入し、6人編成に。
1年後に綱木文夫が脱退したので、以後は5人体制となりました(ただし、多くのサポートメンバーがいたようです)。
荒井注が脱退して、付き人のひとりだった志村けんが正式メンバーに昇格したのは有名な話です。
正式メンバーになる前に半年間ほど「見習い」時代があり、その期間は6人体制でした。

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ビートルズの前座を務めた話

ビートルズが1966年に来日し、武道館で公演を行ったのは、もはや歴史の一部となっていますが、ドリフは前座を務めるグループのひとつでした。
加藤茶いわく、最初は10分くらいの演奏と言われていたそうですが、進行の都合で最終的には1分くらいになったそうです。
しかも、ステージに移動するのに30秒ほどかかったそうで、実質30秒も演奏していないとのことです。
結果として、ビートルズもカバーしている「のっぽのサリー」という曲の出だしだけを仲本工事が歌い、すぐに「撤収!」といかりやが叫んで、大急ぎで舞台を降りたそうです。
なぜ「撤収!」なのかというと、司会を務めていたE・H・エリック(岡田真澄の兄)が「さて、いよいよみなさんお待ちかねの、ザ……」という振りをしたので、観客たちはビートルズが出てくると思い、大騒ぎとなるわけですが、出てきたのがドリフだったので、ズッコケたというわけです。
なお、加藤茶はビートルズとは出会っていないと語っていますが、いかりやは著書で「メンバーとすれ違い、誰かの楽器に接触した」と書いています。
ドリフのメンバーも緊張していたので、よく覚えていないのでしょうか。

紅白歌合戦出場を一度辞退している?

1970年に「ドリフのズンドコ節」が大ヒット。
数多くの賞を取り、紅白歌合戦への出場が内定していたそうですが、加藤茶が交通事故を起こし謹慎処分となったので、辞退することになりました。
しかし、2001年、夏の紅白とも呼ばれる「思い出のメロディ」に出演したところ、これが好評で、この年の紅白歌合戦に無事出場しました。
番組内では、全員集合の名物企画だった「少年少女合唱団」を再現するコーナーもありました。

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ドリフのコントは外国人にも好評だった?

ドリフのコントは、動きだけで何をしているのかわかるので、日本語のわからない外国人にも好評だったといかりやは著書で語っています。
ただ、下品だとか、食べ物を粗末にするなどとも言われ、PTAの「子供に見せたくない番組」には常に上位にランクインしていたとか。
それだけ影響力が強かった証拠ということでしょうが。

ドリフの悲劇……奥さんが先に亡くなる

いかりやは3回結婚していますが、二人目の奥さんは病死されています。
仲本工事も現在は弟子の演歌歌手と3回目の結婚をし、居酒屋を経営していますが、最初の奥さんを病気で亡くしています。
そして、愛妻家で知られた高木ブーも奥さんを先に亡くしています。
とあるワイドショー番組では、葬儀を報道する場で、高木ブーと呼ぶのは不謹慎だと考えたのか、本名の高木友之助さんと呼んでいました。
奥さんが先に亡くなるのを一部週刊誌は「ドリフの悲劇」と報道していました。
ただし、みなさん艶福家のようで、加藤茶が45歳下の奥さんをもらったのは有名ですが、仲本工事も現在の奥さんが27歳下、二人目の奥さんは25歳下でした。
元メンバーの荒井注も再々婚の相手は38歳下でした。

加藤茶は一晩で3000万円を飲み代に使った?

全員集合の全盛期、金はあるけど遊ぶ時間がない加藤茶は、銀座のクラブをハシゴして、行く先々で一般の客までを連れ回し、最終的に3000万ほどを一晩で使ったという逸話があります。
ただし、このエピソードを話すとき、微妙に金額が変わることがあるので、数字は正確でないかもしれません。

「お口の恋人」というフレーズは仲本工事の母が作った?

お菓子メーカー「ロッテ」のキャッチコピー「お口の恋人」は仲本工事の母が応募し、採用されたものだと言われています。
なお、仲本工事の母は息子とともに「居酒屋・名なし」という店を切り盛りしていました。

こぶ茶バンドについて

仲本工事、高木ブー、加藤茶の三人は芸名から一文字取って合わせた「こぶ茶バンド」という名前のバンドを結成し、今も全国各地で演奏活動をしています。
元々、この3人はドリフ加入前に「クレイジーウエスト」というバンドに一緒に在籍したことがあり、仲がいいそうです。
公演には、すわしんじや小野ヤスシが参加することもあったそうです。

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筋肉少女帯の「元祖高木ブー伝説」について

大槻ケンヂ率いるバンド、筋肉少女帯が「元祖高木ブー伝説」という曲を発売する際、ドリフの事務所側から抗議がされましたが、高木ブー本人が「許してやろうよ」と言ったので、発表することができました。
またこの騒動によって、曲も話題になったので、大槻ケンヂは高木ブーの人柄を絶賛し、以降、高木ブー経営の店でライブ活動をするなど親交を深めているそうです。
なお、この曲の歌詞は「彼女が去っていくのに何もできない僕は、まるで土曜の晩の高木ブーのように無力だ」という内容です。
ちなみに筋肉少女帯にはもう1曲「ドリフター」というドリフを題材にした曲があり、そちらの歌詞の方が内容的には不適切です。
そちらをドリフの面々が知っているのかは不明です。

「ばか兄弟」はタイトルを変えられている。

「ばか兄弟」というコントは、いかりやと仲本が少し知能の低い感じの兄弟を演じる人気のコントですが、一部からクレームがあったのか、近年放送される際には「ゆかいな兄弟」とタイトルを変えて放送されるようになっています。

志村けんは一時期独立している

志村けんは同じくドリフの付き人をしていた人物と「マックボンボン」というコンビを作り、一時期独立しています。
身体を張ったギャグが話題を呼び、一時は冠番組を持つほどでしたが、ワンパターンが飽きられて、打ち切りとなり、ドリフの付き人に戻ることになりました。
なお、志村けんは一度、社会勉強をすると言って、付き人から離れて働いていたそうですが、そのとき話がうまく伝わらなかったようで、失踪したと騒ぎになったことがあるそうです。

ドリフが起源とされるもの

じゃんけんをする際、「最初はグー」と言ってタイミングをはかるのは、ドリフのコントがはじまりと言われています。
ベースを演奏する際に「チョッパー」という技法があるのですが、日本で最初に始めたのはいかりやだという説があります。
各家庭から面白い動画を送ってもらい、テレビで紹介するのは、志村けんが「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で始めた「おもしろビデオコーナー」が最初とされており、後にYou Tubeに影響を与えたとさえ言われています。

<参考文献>

※自分の記憶を確認する形で、ネット上の多くのサイトを参考にしました。
他にも面白いエピソードが見つかれば、随時追加していきます。

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