ドリフメンバーのプロフィールに関する雑学あれこれ

芸能系

はじめに

かつて日本中を楽しませてくれたお笑いグループ「ザ・ドリフターズ」。
数多くの逸話がありますが、まずはメンバーのプロフィールを中心とした雑学を記します。

メンバーの本名、逸話など

メンバーの芸名は、とあるパーティーの席で、酔っ払ったクレイジーキャッツのハナ肇さんが勢いで名付けたそうです。

いかりや長介

本名は碇屋長一(いかりやちょういち)。
よくできた芸名に思えますが、実際は本名に近いです。
長一より長介の方が呼びやすくていいと言われ、変更したとか。
その日のコント出来を父親に講評してもらっていたというエピソードを著書に書いています。
アフリカ旅行が隠れた趣味でした。
おおらかな雰囲気が好きだったとか。
奥さんふたりを先に亡くしており、三回結婚していることはあまり知られていません。

高木ブー

本名は高木友之助。
芸名の由来は見た目のままですね。
元々、「ブーたん」を呼ばれていたのを、「ブー」に変えられたという説もあります。
芸能界クレー射撃部の会長でもあります。
実はいかりやさんが先に始めたらしいですが、忙しくて参加できないうちに他のメンバーの方が上達したのでやめたとか。
そこで、最年長のブーさんが会長に選ばれたそうです。
ブーさんはセリフ覚えが悪く、「感嘆詞のブー(セリフを一文字しか覚えられない)」という異名があったとか。
いかりやさんの著書では「ブーより演技が下手な奴は存在しない」とまで書かれています。
しかし、ウクレレの名手であり、歌もうまく、音楽性はドリフで一番高いと認めてもいます。
ウクレレ普及に貢献したので、ハワイ政府からハワイアンネーム「ホア・コクア」をもらっています。
肥満からくる睡眠時無呼吸症候群で、スポンサーとの会議中に居眠りしてしまい、番組をひとつ打ち切りにしたというエピソードも。

仲本工事

本名は仲本興喜。
工事という芸名は、体操のコントなどで派手なアクションをするのでケガが絶えず、工事中にちなんだとか。
なお、メガネは伊達メガネです。
これも体操のコントなどでレンズが割れたりしたら危険だからとのこと。
本人は興喜という名前があまり好きではなかったそうで、仲本コージという芸名でドリフ加入前からバンド活動をしていたそうです。
ドリフ加入前には、高木ブーさんと同じバンド(パップ・コーンズ)に在籍したことがあり、その伝手でブーさんに誘われてドリフ入りしたとか。
いかりやさんは著書の中で、仲本さんの歌を下手と書いていますが、ブーさんは著書で上手いと褒めています。
事実、ビートルズの武道館公演で前座で演奏したとき、ボーカルを務めたのは仲本さんです。
ちなみに歌った曲は「のっぽのサリー」のワンフレーズです。
登場時間が公演の都合でどんどん削られて行き、ワンフレーズしか歌う時間がなかったとか。
いかりやさんによると、学習院大を卒業しているのを自慢していたとのこと。
体操については、東京都の大会で上位に入るほどの実力だったそうですが、いかりやさんの著書には「せいぜい大車輪が一回できる程度」と書かれていました。

加藤茶

本名は加藤英文。
読み方については「ひでふみ」「ひでゆき」「たかふみ」という説があり、はっきりしていません。
東京生まれの福島育ちで、父親は音楽通なら知っているミュージシャンだったとか。
かつて猟銃免許を持っていたそうですが、車の運転でスピード違反を連発したり、事故を起こしたりしたので取り消されたという逸話があります。
いかりやさんと同時期にドリフに加入しているので、一番、いかりやさんと付き合いの長い関係でした。
そのためか、いかりやさんの葬儀では、代表して弔辞を読んでおられました。

志村けん

本名は志村康徳。
本名は徳川家康の名前から二文字が取られています。
芸名については、ハナ肇さんが酔っ払って名付けた時点では、まだメンバーではなかったので、自分で付けたものです。
父親の憲司さんから文字をもらったとか。
教員で、柔道家でもあり、怖い存在であった父親が、お笑い番組を見て笑っているのを見て、お笑いってすごいなと思ったのが原点だとか。
ちなみに、志村けんさんは時々おばあさんを演じますが、あのおばあさんには「ひとみさん」という名前があります。
行きつけの飲み屋にいた元気なおばあさんがモデルだそうです。
「アイーン」とギャグを飛ばすときの表情は、昔、出会った芸者さんの表情がモデルだとか。
「だいじょうぶだぁ〜」というフレーズは、福島に住む親戚の口癖とイントネーションが由来だそうです。
昔、仲本さんとともに競馬のノミ行為で捕まったことがありますが、後に馬主になっています。

荒井注

元メンバー、荒井注さんの本名は荒井安雄です。
芸人は水商売だから、さんずいを付けた漢字を芸名をつけたらいいと、ハナ肇さんに言われたとか。
「注さんは要注意人物だからさ」と加藤さんはギャグにしています。
その加藤さんの芸名も「加トちゃん」という呼び名から来ていますが、茶というのは水にちなんでいます。
荒井注さんは、実はいかりやさんより年上でしたが、リーダーより年上というのも変だなという話になり、しばらく、何歳か年下にサバを読んでいたそうです。
別のバンドにいたとき、当初はギタリストだったそうですが、バンドの都合でピアニストにされたという経歴の持ち主で、いかりやさんはピアニストということで、荒井さんをスカウトしたのですが、ろくにピアノが弾けないのを見て驚き、「ピアニストなのにピアノが弾けない荒井注」と紹介することで、ギャグにしていたそうです。
亡くなった際は、メンバー達から持ちギャグの「なんだ、バカヤロー」と叫ばれることで見送られました。

すわしんじ

ドリフ第六の男と呼ばれる人物のひとりです。
本名、諏訪園親治。
加藤さんの運転手を主に務めていたそうです。
ブルース・リーのものまねを得意とし、サポートメンバーとして、舞台に出演していました。
志村さんと正規メンバーの座を争いましたが、残念ながら選ばれず、後に「ザ・ニュースペーパー」という社会風刺コントを得意とするグループを結成しました。
いかりやさんの著書によれば、ドリフというのは固定メンバーにこだわっていたわけではなく、メンバーの入れ替えや、あるいは二代目ドリフなんてグループを作ってもよい、という構想があったそうです。
ただ、その前に辞める者が多く、残念だったとのことです。

以上、いくつか述べさせていただきましたが、ドリフに関するエピソードは本人たちの記憶が怪しいのと、ギャグとして昇華されている部分があり、真相不明な部分もあります。
例えば、加藤さんは「ドリフと志村の出会いは、志村がビートルズの公演を観に来たとき」と語っていますが、志村さんは「俺が見に行ったのはドリフが出ていない日」と否定しています。


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