相撲に関する雑学あれこれ 7連敗後、8連勝した力士がひとりだけいる。

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はじめに

神話の時代より続くとされる相撲。
長い歴史の中には様々なことがありました。
いくつか雑学を記します。

国技ではない?

日本の国技とも言われる相撲ですが、「相撲は国技である」と記録した文書や規定はありません。
ただ、神話の時代から親しまれ、日本で独自の進化を遂げて来た競技であるので国技とされています。

相撲の起源

神話の時代、天孫降臨後、天つ神のタケミカヅチと国つ神のタケミナカタが対決したのが相撲の起源とされています。
また、垂仁天皇の時代に、当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)によって、相撲の原型とされる力比べがされ、最後は野見宿禰が当麻蹴速を倒し、絶命させています。
これが実質的な起源とされていますが、このときの相撲は打撃技中心で、現代の総合格闘技に近いと言われています。
これが、柔道の起源という説もあります。
なお、相撲界のことを角界というのも、相撲の原型となったこの力比べが角力と呼ばれたからです。

相撲の歴史概略

上記の力比べのあと、神事として相撲は広まり、五穀豊穣や子孫繁栄を祈願するものとなりました。
後に武家に鍛錬法の一種として取り入れられます。
江戸時代に入り、世の中が平和になると、力士たちは大名のお抱えになりました。
神社仏閣などを建立するための興行となり、後に民衆たちにも人気となって広まっていきました。

かつての最高位は大関

江戸時代まで横綱というものは存在せず、大関が最高位でした。
横綱というのは名誉称号的なもので、大関の中で技量抜群のものに与えられるものでした。
横綱の名前の由来は、その名の通り、優れた力士は白い綱をまわしにつけることができたからです。
初代横綱は「谷風」と「小野川」と言われています。

行司の起源は織田信長?

織田信長は相撲を好んだことで有名ですが、「信長公記」によると、信長が相撲を観覧した際、土俵を裁く存在を「奉行」といい、勝敗を決める存在を「行事」と言ったと記されています。
これらの言葉が合わさって「行司」という存在と言葉ができました。
かつて、行司を務める家は多く存在したようですが、現在は「木村」家と「式守」家だけです。
最高位の行司(立行司)は「木村庄之助」と「式守伊之助」です。
現在のルールでは、行司は必ずどちらかに軍配を上げる必要があります。
引き分けという判定はできません。
短刀を腰に差しているのは、判定に命がけであることを示しています。
なお、軍配差し違えを行いすぎると降格されることもあったとか。

最強力士、雷電為右衛門

江戸時代、信濃の国出身の力士に「雷電」という人物がいました。
通算成績は254勝10敗、それ以外にも引き分けが何回かあるそうです。
通算勝率9割6分2厘は言うまでもなく、史上最高です。
2メートル近い身長と170キロ近い体重だったと言われていて、当時としては別格の体格だったとか。
あまりの強さに一部の技が禁止されていたとも。
当時は年2場所制で、10日間の取り組みだったとされています。
だから、連勝できたのだとも言われますが、江戸の本場所以外にも各地で藩が行う興行などに参加しなければならなかったようです。
飛行機や新幹線などなかった時代、移動を考えるとかなりの労力が必要だったと考えられます。
しかし、これだけの実績を残しながら、なぜか雷電は横綱にはなれていません。
理由は明らかではないですが、当時はまだ横綱という存在が恒久化されていなかったいう説が有力です。

7連敗後、8連勝した力士

現在では、15日間続く相撲の本場所。
8勝すれば勝ち越しですが、過去に7連敗してから8連勝した力士がひとりだけいます。
のちに横綱にまでなった栃錦です。
1951年の1月場所で前頭2枚目だった栃錦。
前頭上位といえば、序盤は横綱、大関をはじめ、上位と当たる地位です。
栃錦は苦戦し、7連敗となりました。
しかし、中日から相手のランクが落ちてくると力を取り戻し、あれよあれよという間に7連勝。
そして、迎えた千秋楽、水入りと呼ばれる長時間になったため取り直しとなりましたが、激闘の末に相手を下し、見事史上唯一の記録を達成しています。
栃錦は若い頃軽量でしたが、技量に優れ、技能賞を8回も取っています。
横綱昇進後、最初の取り組みに負けて金星を供給するというエピソードも。
横綱若乃花とはライバルとして競い合い、この時代は栃若時代と呼ばれています。

全6場所制覇

年6場所の時代、すべての場所で優勝した経験のある力士は10人ほどいますが、1年の間に6場所すべて優勝した力士は朝青龍のみです。
また、6場所すべてで全勝優勝の経験があるのは白鵬のみです。

相撲協会出入り禁止

近年、貴乃花親方の問題で、テレビ朝日が相撲協会と揉めた事件が記憶に新しいですが、かつて相撲協会と報道をめぐって対立し、スポーツコーナーにおいて取組の映像が使用できなかったテレビ局があります(どの局だったか失念。調査中)。
そのとき、その局はやくみつるによるイラストで、その日一番盛り上がった取組を紹介するという苦肉の策で対応していました。

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