1989年に起こった中森明菜の自殺未遂事件は世に衝撃を与えました。
近藤真彦のマンションの風呂場で手首を切っていたのを発見され、大々的に報道されました。
ふたりの交際のきっかけは1985年に公開された映画「愛・旅立ち」で共演したことです。
皮肉にも自殺未遂の直後に発売された明菜のアルバムは大ヒットします。
ちなみに自殺未遂の現場を発見し、通報したのも近藤自身です。
自宅に電話をしても、明菜が出ないので、不審に思い、急いで帰ってみると倒れていて驚いたとか。
この自殺未遂の真相は未だに明らかになっていません。
一説によると結婚を望む明菜とそこまでは考えていなかった近藤とのすれ違いという説があります。
また、近藤がカーレースに熱中し、ふたりで住む新居を建てるために明菜が貯めていた金にまで手を出したという説も。
さらには、写真週刊誌に近藤と松田聖子がニューヨークで密会しているところを掲載されていたことにショックを受けたからなど、様々な憶測がされています。
それはさておき、事件翌日、近藤真彦はテレビ東京系の番組にメインゲストで出演が決まっていましたが、この事件で急遽キャンセルとなりました。
その番組は「加トちゃんの歌のビッグファイト」という番組で、SMAPの初レギュラー番組でもあります。
司会をドリフのメンバー加藤茶が務めていた番組です。
毎回、ジャニーズの大物がひとりだけメインゲストとして出演し、それ以外はマイナーなアイドルがバーターで出演する番組でした。
その日は肝心のメインゲスト不在で微妙な空気でした。
近藤真彦が登場するはずだった枠は、アシスタントだった田中律子が急遽、一曲歌うことでお茶を濁しています。
番組中、加藤茶が「みんな知っていると思うけど、昨日、あんな事件があった後だから許してね」と語っています。
なお、このあと近藤真彦は復帰するわけですが、その際ホテルの一室で金屏風を背に記者会見したのを未だにネタにされています。
中森明菜の方は精神的ダメージが大きいのか、一時期歌手活動を再開したことがありましたが、大々的に表舞台へは復帰していません。
回復が待たれるところです。