破戒僧、一休さんの生涯 複雑な生い立ち

地理・歴史系
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一休さんの親は誰か?

とんち坊主として一般に知られる一休さんは、後小松天皇のご落胤という説が有力です。
しかし、後小松天皇は北朝方の天皇ですが、母は南朝方の女性であったと言われています。
藤原氏の女性らしいですが、誰が生母なのかは、正確にはわからないそうです。

当時の情勢

ただ、当時はアニメでも有名な「将軍様」こと足利義満によって、南北朝の争いがほぼ収まったものの、まだ南朝方の一部では不穏な動きがある時代でした。
つまり、一休さんが南朝の遺臣から後継者として担ぎ出されることや、テロの対象になる可能性がありました。
そこで、息子の身を案じた母が権力から引き離したというのが仏門に入った真相であるようです。

元の名前

ちなみに「一休宗純」と名乗るのは17歳頃からで、子供の頃は「周建」と呼ばれていました。
なので、アニメで「一休」と呼ばれているのは、正確にいうと間違いです。
なお、修行をしていたのはアニメと同じ「安国寺」というお寺で、禅宗の一派である臨済宗大徳寺派の僧侶ということになります。

一休さんの祖父は将軍様?

俗説ではありますが、後小松天皇は足利義満の子であるという説があります。
後小松天皇の母と足利義満は密通していたのではないかという疑惑があり、足利義満は後小松天皇の養育に積極的だったとも言われています。
となると、一休さんは足利義満の孫になるわけで、複雑な関係となります。
アニメではのんきなところもある一休さんですが、複雑な生い立ちを考えると、彼が後に肉食妻帯をし、破戒僧となったのもわかる気がしますね。
新年をみんなが祝っているところを、髑髏を杖の先に刺して「みんないつこうなるかわからないぞ」と念仏を唱え、縁起が悪いと石を投げられたエピソードは有名で、アニメでも採用されています。

臨終の言葉

最後の言葉は「死にとうない(死にたくない)」だったと言われています。
高僧、一休の最後の言葉だから、皆ありがたい言葉を期待したと思われます。
みなさん驚いたことでしょうね。
なお、享年は87歳で、結構長生きしています。
マラリアが死因とのこと。
墓は一休寺とも呼ばれる京田辺市の酬恩寺にあります。
しかし、天皇の御落胤ということで、陵墓参考地として宮内庁が管理しているため、見ることができません。
宮内庁も御落胤と認めているようですね、

本願寺蓮如とのエピソード

一休は本願寺蓮如とも仲が良かったそうで、ある日一休が仏像を枕にして寝ていたら「ワシの商売道具に何をするか」と蓮如が言って、ふたりで大笑いしたというエピソードが伝わっています。

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