月亭可朝が選挙に立候補したときの公約と立川談志の議員時代のエピソード

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月亭可朝師匠とボインについて

丸いメガネにちょび髭、カンカン帽の出で立ちが特徴的だった、故・月亭可朝師匠。
関西の有名番組「新婚さんいらっしゃい」の初代メイン司会者でもある方です(桂文枝は当初サブ司会者でした)。
「嘆きのボイン」という名曲でも知られる氏ですが、実は国会議員に立候補したことがあります(このため、わずか4ヵ月で「新婚さんいらっしゃい」を降板)。
そのときの公約というのが、一夫多妻制の導入と、風呂屋の男湯と女湯の壁を撤去することでした。
しかし、残念ながら、落選してしまい実現しませんでした。
ちなみに「嘆きのボイン」という名曲が生まれたのは、プールサイドでの余興の仕事が入った際、何をテーマに笑わせようかと考えた結果だと言われています。
プールというところから、ボインというフレーズを思いついたとか。
3つのコードだけで弾ける曲を大急ぎで作ったわけですが、結果として80万枚を売り上げる大ヒット。
しかし、「おとうちゃんのもんとちゃうんやで~」というフレーズが子供の教育によろしくないということで、一部では放送禁止となったとのことです。
なお、「ボイン」という単語自体は、伝説の深夜番組「11PM」で、大橋巨泉が朝丘雪路の巨乳のことをボインと呼んだのが始まりとされています。
ただし、貧乳を意味する「ナイン」や「コイン」はこの曲が始まりという説が有力です。
この「嘆きのボイン」はヒットしたコミックソングの走りと言われていて、後の「あのねのね」や「つボイノリオ」に影響を与えたとも言われています。

立川談志師匠のエピソード

一方、落語家で国会議員経験者といえば、立川談志師匠が有名です。
こちらはちゃんと参議院議員に当選し、沖縄開発庁政務次官にまでなっています。
しかし、沖縄の施設を視察したあと、二日酔いの状態で記者会見に臨み、「酒と国会とどっちが大事なんだ?」と聞かれ、「酒に決まっているだろ」と答えたという逸話があります。
結果的にこれをきっかけとして政務次官を辞職することになります。
しかし、これは質問をした記者が意地悪でしょう。
そこで「国会です」なんて殊勝に答えるような談志師匠をファンは望んでいないはずだし、投票もしないでしょう。
結局、国会議員は一期だけ務め、以後、立候補はしていません。

ふたりは仲が良かった

月亭可朝と立川談志は歳が近く、互いに東京、大阪と行き来する際には、相手の家に泊まるほどの仲だったそうです。
立川談志も破天荒で知られていましたが、「可朝の方がなんでも行き当たりばったりでメチャクチャな奴だ」と語っています。

月亭可朝は弟子に甘かった?

横山たかし・ひろしのふたりは、横山やすしの弟子ですが、やすしは弟子に対する厳しさで知られていました。
それに対し、月亭可朝は何事にも無頓着で、弟子に対してもそうであったそうです。
代表的な弟子である月亭八方は、やすしにしごかれるたかしひろしを見て、可朝師匠を選んで良かったと胸をなでおろしていたとか。
しかし、月亭可朝いわく、八方には特に何も教えたことがなく、弟子だった期間も少しだけだとのことで、真相は明らかではありません。

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