伊勢神宮に祀られている天照大神は我が国の最高神とされていますが、実は男性神だという説が昔からあります。
根拠をいくつか記します。
持統天皇が作り上げた説
伊勢神宮は我が国の最高神を祀っているはずなのに、公式参拝をした天皇は明治天皇が初めてだと言われています。
持統天皇がお忍びで参拝したという記録がある程度です。
それも伊勢地域を視察したついでに立ち寄ったという程度です。
持統天皇といえば、古事記、日本書紀などの編纂にも関わっていて、日本という国の基本を夫の天武天皇と作り上げた天皇です。
自らが女性だったために、天照大神を女性にしたという細工が考えられます。
自らが孫(軽皇子、後の文武天皇)に相続をさせることになったのですが、そのことを正当化するために、天孫降臨の話を作り上げたとも言われています。
神の時代に先例があるではないかと言うわけですね。
作為の可能性は高いです。
なぜ、斎王がいるのか
伊勢神宮には皇女が斎王として赴きますが、なぜ女性が赴くのでしょうか?
まるで嫁入りするかのようです。
あるとき、天照大神は天皇の夢に現れ、自分の食事の世話などをしてくれる神を所望しました。
その神というのが、外宮の豊受大神のことですが、これもまるで嫁入りのように見えます。
ちなみに豊受大神は元々天橋立近くにある籠神社にて祀られていた神様です。
そこは元・伊勢と呼ばれる場所でもあります。
天照大神が今の伊勢神宮に定着する前にいたとされる場所です。
一般的には女神とされています。
天橋立付近にら天女と羽衣にちなむ伝説もあります。
アメノウズメのストリップ
天の岩戸に天照大神がこもったとき、アメノウズメはまるでストリップのような踊りを行い、岩戸を少し開けさせました。
男性神の本能がそうさせたとも思えないですか?
アメノウズメはこのときの記述から芸能の神様となり、今も各地で祀られています。
太陽神であること
ギリシアのアポロンやエジプトのラーなど、世界的に太陽神は男性が多いです。
インカ帝国の皇帝なども太陽神の化身とされていますね。
では、モデルとなったのは誰か?
歴史に造詣が深く、意外な歴史の見方を教えてくださる作家の高田崇史氏は、元々「天照」という男性神がいたが殺され、妻であった人物が天照大神として祀られるようになったのではないかと推測されています。
その天照という男性神はニギハヤヒのことで、のちに大和朝廷を作りあげる人々に殺されたのではないかと考えるのが自然だと。
天の岩戸隠れという物語は殺されたニギハヤヒを岩戸に葬り、当時の様式で葬儀を執り行ったことから来ているのではないかとのことです。
なお、ニギハヤヒという神様は、神武天皇が東征した際、敵として戦ったナガスネヒコが奉じていた神様です。
物部氏の祖先とも言われています。
ニギハヤヒもまた高天原から地上に降りたった神のひとりとされ、ニニギノミコトが高千穂に降臨したのとは違い、河内、大和に降臨したとされています。
ニギハヤヒはアメノホアカリノミコト(天火明命)と同一の神と見る説もあります(先代旧事本紀)。
アメノホアカリノミコトはニニギノミコトの兄とも父ともされる神です。
尾張氏の先祖ともされる神です。
別の表記では天照国照彦火明命とされ、字を見ればわかるように天照という文字も使われている太陽神です。
話は少しズレましたが、大和朝廷を作り上げた人々は、ニギハヤヒの妻だった女性を祀り上げ利用しました。
これがいわゆる卑弥呼(日の巫女)ではないかと。
太陽神「天照」の巫女だから、ヒミコというわけですね。
古事記、日本書紀にはなぜか邪馬台国や卑弥呼のことが出て来ません。
これについても諸説ありますが、自分たちが利用し、殺した存在だから、載せられなかったとも考えられます。
なお、倭姫が天照大神を伊勢の地に落ち着かせたのは、皇居で天照大神が騒いだのがきっかけだと言われています。
どうして、天皇の祖先神が皇居だと落ち着かなかったのか?
それは、自分を殺した側の者たちに祀られていたからではないでしょうか。
伊勢国一宮は伊勢神宮ではない?
あまり知られていないことですが、伊勢国一宮は伊勢神宮ではありません。
椿大神社(つばきおおかみのやしろ)または都波岐(つばき)神社とされています。
どちらの神社にも祀られているのは猿田彦です。
猿田彦というのは、天孫降臨の際に道案内をした神で、天狗のモデルとなった神でもあります。
この神の妻となったのが、天岩戸の前でストリップをしたアメノウズメです。
猿田彦の使いとされているのが蛙で、蛙を「かわず」と読むのは、河衆が訛ったものではないかとも。
この猿田彦こそが元々伊勢国を治めていた存在だったという説があります。
だから、伊勢国一宮は猿田彦を祀った神社であるわけですね。
猿田彦は巨大な貝に噛まれて溺れ死んだとされていますが、このあたり暗殺を匂わせなくもないです。
伊勢国は古代、鉄の産地であったため征服されたのではないかと。
神社の屋根を見れば神様の性別がわかる?
神社の屋根には千木(ちぎ)と呼ばれるパーツと鰹木(かつおぎ)と呼ばれるパーツがあります。
千木というのは屋根を正面から見て、ツノのような形で斜め上に伸びているパーツです。
このパーツは先端部の形で「外削ぎ」と「内削ぎ」の二種類に分かれます。
一般的に外削ぎと呼ばれる地面から垂直の形になっているものは男性神を祀る神社とされ、内削ぎと呼ばれる地面と水平の形になっているものだと女性神を祀る神社とされています。
伊勢神宮の千木は内削ぎです。
鰹木というパーツは神社の屋根を抑えるような形で置いてある丸い棒のことです。
こちらは奇数本だと男性神が、偶数本だと女性神が祀られている神社とされています。
伊勢神宮の鰹木の本数は10本で偶数です。
ならば、女性を祀っている神様で間違いないじゃないか……と思われるかもしれませんが、実は本殿に限らず、内宮にある神社はすべて内削ぎ、偶数に統一されています。
天照大神の弟を祀っている月読神社さえもそうです。
一方、同じく女性神を祀っているはずの外宮はなぜか千木が外削ぎ、鰹木は奇数で統一されています。
これは何を意味するのでしょうか?
持統天皇が意図的に天照大神を女性にしたと先述しましたが、何か作為的なものを感じます。
なお、千木と鰹木が性別を表すという説については俗説としている研究者もいます。
神社本庁も神社によって違うと言葉を濁してはいます。
伊勢は朝廷にとって恐ろしい場所だった?
冒頭で述べたとおり、伊勢神宮を公式参拝したのは明治天皇が最初です。
有名な弓削道鏡事件の際もなぜか当時の朝廷は伊勢神宮まではなく宇佐神宮にお伺いを立てました。

それは朝廷にとって伊勢神宮はそれほど重要な存在ではなかった、または恐ろしくて近づけない場所だったからではないでしょうか?
なぜ恐ろしいかと言うと、朝廷や貴族たちが排除してきた神であり、人々の根拠地であったり、追いやった場所だったからだと考えるのが妥当だと思います。
<参考文献>