天武天皇の生年はなぜか不明。兄の天智天皇より年上だった?

地理・歴史系

天武天皇とは?

天武天皇は日本の第40代天皇です。
即位前は大海人皇子と呼ばれていました。
父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇と言われており、天智天皇(中大兄皇子)の同父母の弟とされています。
妻は後の持統天皇です。
天智天皇の没後、天智天皇の息子、大友皇子(弘文天皇)を壬申の乱で倒し、即位しました。
中国から多くの制度を取り入れ、新たな政治をはじめました。
「日本」や「天皇」という呼称が作られたのはこの頃だと言われています。
藤原京の造営も始めました。
「古事記」「日本書紀」の編纂を始めたのも天武天皇の時代です。

なぜか不明な生年

このあまりにも有名な天皇の生年は不明とされています。
日本書紀には生年の記載がありません。
天智天皇の生年は記載があるのに、なぜか天武天皇に関してはありません。
中世の資料のいくつかに没年が書かれていいて、そこでは65歳で亡くなったと記録されています。
しかし、そこから逆算すれば、兄の天智天皇より年上になってしまいます。
65歳というのは、56歳の書き間違えではないかとも言われていますが、少し牽強付会すぎるのではないでしょうか。
そのため、天智天皇とは同父母の兄弟ではなく、父親違いの兄弟であるという説があります。
また、中国から道教や神仙思想、律令制度などを取り入れていることから、大陸からやってきた人物だという説もあります。

天智天皇の娘と結婚

天武天皇は天智天皇の娘を四人も妻にしています。
そのうちのひとりが後の持統天皇です。
実の兄弟ならここまでして血縁関係を深める必要があったのでしょうか?
天智天皇の死後、大友皇子を倒していることからも、やはり兄弟ではなかったと考えるのが自然のように思われます。
乱のあと、天智天皇の皇子たちと自分の娘たちを婚姻させ、さらに血縁関係を深めています。
それは、自分が権力の座に着くにあたり、正当性を高めるために血を深めたとも考えられます。

歴代天皇の菩提寺に天武系天皇の位牌がない

京都の泉涌寺に歴代天皇の位牌が安置されていますが、なぜか天武天皇から称徳天皇までの天武系天皇の位牌がありません。
ここまで歴然としていると、やはり天武系の天皇を正統と認められないからではないでしょうか?
子がいなかった称徳女帝が弓削道教に天皇の位を譲ろうとしたのも、天智系の天皇に位を明け渡すことになるのが口惜しかったからではないかとも考えられます。

いずれにせよ、今も天武天皇の生年は不明なままとなっています。

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