35歳という若さで世を去った天才音楽家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
数えきれないほどの名曲を残しながら、その最期はあまりにも謎に包まれています。死因は今も特定されておらず、200年以上経った現在も「本当は誰かに殺されたのではないか」という議論が絶えません。
今回は、モーツァルトの死をめぐる数々の”容疑者”と、そこに隠された人間関係の闇に迫ってみたいと思います。
「アマデウス」が広めた、宿敵サリエリ犯人説
アカデミー賞を受賞した映画『アマデウス』では、モーツァルトは自身の才能に嫉妬した宮廷音楽家アントニオ・サリエリによって命を奪われた、という筋書きで描かれています。
実際、当時のウィーンでもサリエリを疑う声は少なくありませんでした。ウィーンで発行されていた新聞に、サリエリを容疑者であるかのように書き立てる記事が載ったこともあるほどです。サリエリ自身も、この根拠のない疑惑に生涯苦しめられ続けました。
しかし、冷静に考えると引っかかる点があります。サリエリはすでに宮廷作曲家としての地位と名声を確立していた人物です。わざわざ危険を冒してまで、モーツァルトを手にかける動機がどこまであったのか――そう考えると、この説には疑問符がつきます。
もう一人の容疑者――弟子ジュスマイヤーと、妻コンスタンツェの影
では、サリエリでないとしたら、いったい誰が。
浮かび上がってくるのが、モーツァルトの弟子の一人、フランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤーです。
彼はモーツァルトの死後、未完のまま残された『レクイエム』の後半部分を書き上げ、完成させた人物として知られています。師の遺志を託されるほど信頼されていた弟子――そう語られることが多いのですが、実はもう一つ、穏やかではない噂がつきまとっています。
ジュスマイヤーが、モーツァルトの妻コンスタンツェと不倫関係にあったという説です。
不自然なことに、モーツァルトは生まれた息子に「フランツ・クサーヴァー」という、ジュスマイヤーと同じ名前をつけています。これは単なる信頼の証だったのか、それとも――妻の不貞に気づいていたことの表れだったのか。この解釈は今も分かれています。
もし後者が真実だったとすれば、恐ろしい仮説が成り立ちます。関係に気づかれたと悟ったジュスマイヤーとコンスタンツェが、発覚を恐れて手を組み、モーツァルトの命を奪った――という可能性です。
興味深いことに、この息子フランツ・クサーヴァーは、成長後になんとサリエリに師事しています。この事実が、皮肉にも「サリエリ犯人説」への疑いをさらに薄める材料になっているのです。
「毒殺されようとしている」――本人が残した不穏な言葉
一方で、毒殺説を裏付けるような証言も存在します。
晩年のモーツァルトは、「自分は毒殺されようとしている」と書き残した手紙を残しています。そして死後、遺体がむくんでいたことも、毒殺の証拠の一つとして語られてきました。
これらの状況証拠が、当時から現代に至るまで、数々の陰謀論を生み続ける土壌になっているのです。
妻コンスタンツェはなぜ葬儀を欠席したのか
もう一つ、見過ごせない不可解な事実があります。
妻でありながら、コンスタンツェはモーツァルトの葬儀に出席していません。
一般的には「あまりの悲しみに耐えられなかったため」と、好意的に解釈されています。実際、そう考えるのが自然かもしれません。
しかし、もし彼女が殺害に何らかの形で関与していたとするならば――この欠席には、まったく別の意味が浮かび上がってきます。家族であれば、日々の飲食物に何かを混入させることは、他人よりもずっと容易だったはずだからです。
モーツァルトの血筋は、今どこにも存在しない
モーツァルトにはカール・トーマスとフランツ・クサーヴァーという二人の息子がいましたが、どちらも子孫を残しませんでした。そのため現在、モーツァルトの直系の子孫は誰一人として存在しません。
遺体そのものも、共同墓地に埋葬されたため、今となっては本人のものと特定することは不可能です。かつて「モーツァルトの頭蓋骨ではないか」とされる骨が発見されたこともありましたが、親族の子孫とのDNA鑑定の結果、別人であることが判明しています。
血のつながりが途絶えた今、彼が確かにこの世に生きた証として残っているのは、後世に伝えられ続ける「音楽」そのものなのかもしれません。


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