ノムさんが生み出した戦術6選|ささやき戦術・カットボール・投手分業制の起源

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「野球はデータや」「ぼやき」「ID野球」——野村克也氏(ノムさん)といえば、名捕手・名監督・名解説者として日本プロ野球の歴史に深く刻み込まれた人物です。

ノムさんが偉大なのは、単に成績が良かっただけでなく、勝つための仕組みを考え、プロ野球界全体に広めた点にあります。現代の野球では当たり前のように使われている戦術の中に、ノムさんが起源とされるものがいくつも存在します。

この記事では、ノムさんが生み出した(あるいは日本に広めた)とされる代表的な戦術を6つ、誕生の背景エピソードも含めて詳しく紹介します。

ささやき戦術

ノムさんの代名詞ともいえる戦術が「ささやき戦術」です。捕手として打席に立つ打者の背後に構え、相手がつい気になってしまうひとことをつぶやいて集中力を乱すというものです。

きっかけは、南海時代にノムさん自身が被害を受けたことでした。阪急の山下健捕手に「構えを変えたのか?」とさりげなく一声かけられた瞬間、ノムさんは気になって打撃に集中できなくなってしまいます。「これは使える」とひらめき、自分でも試してみることにしたのが始まりだとか。

最初は打撃フォームや配球に関するコメントだけでしたが、やがて打者の女性関係や私生活までをさりげなく話題にするようになり、効果はさらに増したといいます。

ただし、「王(貞治)と長嶋(茂雄)と大杉(勝男)と張本(勲)には通用しなかったよ」とノムさん自身がよくネタにしていました。王さんは凄まじい集中力で聞こえていないかのように無視し、長嶋さんにはとぼけられ、大杉さんには「うるさい!」と一喝され、張本さんにいたってはフォロースルーの際にバットで殴られたというから驚きです。超一流打者はそれだけ強靭なメンタルを持っていたということでしょう。

カットボール

現代野球でも多くの投手が武器にするカットボール(カットファストボール)。その元祖もノムさんにあるとされています。

南海の右腕・皆川睦雄投手は、キレのよいシュートを武器にしていましたが、左打者に対して有効な変化球がなく、対戦成績に偏りが出ていました。そこでノムさんは「少しだけ曲がるスライダーを覚えてみないか」と皆川投手に提案します。

試行錯誤の末に完成したその球は、現代でいう「カットボール」に非常に近いものでした。当時は「小さなスライダー」と呼ばれていましたが、この球を手に入れた皆川投手は左右問わず打者を抑えられるようになり、あの王貞治選手さえも封じ込めるほどの効果を発揮します。結果として皆川投手はシーズン30勝を達成。現在もプロ野球で最後の「年間30勝投手」として記録に残っています。

カットボールという名前が日本に定着するより遥か以前に、ノムさんはすでにその原型を生み出していたわけです。

クイックモーション

「世界の盗塁王」と呼ばれた阪急の福本豊選手は、当時のプロ野球で誰も止められない存在でした。通算1065盗塁というとてつもない記録を持つ福本選手に対して、捕手のノムさんは「捕手だけの努力では到底阻止できない」と痛感します。

そこでノムさんが考えたのが、投手側からのアプローチです。投球モーションをできるだけ速く小さくすることで、走者がスタートを切りにくくする——これがクイックモーション(クイックピッチ)の始まりとされています。

理論そのものはメジャーリーグなどで以前から存在していたとも言われますが、日本球界で実際に体系立てて実践・普及させたのはノムさんだという評価が一般的です。なお、ノムさん自身は捕手としては肩がやや弱かったため、投手との連携を工夫することが特に重要だったという背景もあります。

遠山→葛西→遠山(左右病対策リレー)

ノムさんが阪神の監督を務めていた時代に生まれた、やや変則的な継投策です。「左打者→右打者→左打者」とジグザグに続く打線に対して、ノムさんはこんな方法を考案しました。

  1. 左投手の遠山奨志投手を登板させ、左打者と対戦させる
  2. 遠山投手を一塁の守備につかせ、右打者には葛西稔投手が登板
  3. 再び左打者が打席に入ったら、一塁にいた遠山投手がマウンドへ戻る

当時の阪神は投手陣が手薄な状況にあり、また遠山投手はかつて打者に転向した経験があったため、守備位置に就くことが認められていました。この事情が重なって生まれた苦肉の策でしたが、投手を野手として活用するという発想の柔軟さが当時の球界を驚かせ、今も語り継がれています。

「遠山→葛西→遠山」という固有名詞で記憶されていること自体、いかに当時のファンや球界関係者にインパクトを与えたかを物語っています。

ギャンブルスタート

ランナー三塁の場面で、ボールがバットに当たった瞬間にランナーが迷わずホームへスタートを切る戦術です。ゴロならほぼ確実に1点を奪えますが、フライが上がればダブルプレーになるリスクもあります。まさに賭け(ギャンブル)に近い戦術です。

この戦術が生まれたのは、ノムさんがヤクルトの監督を務めていた頃の日本シリーズでの苦い経験からでした。大事な場面で三塁ランナーがスタートを切れず、内野ゴロで1点を取り損ねて試合に敗れてしまいます。

「あの場面でなぜ走らなかったのか」——この悔しさをバネに、ノムさんは「内野ゴロなら必ず生還できるなら、スタートは義務だ」というルールを設けました。これがギャンブルスタートとして体系化され、広まっていきます。失敗から生まれた戦術というのが、いかにもノムさんらしいエピソードです。

投手分業制

現代の野球では先発・中継ぎ・抑えという分業体制は当たり前ですが、かつての日本球界ではエース投手が翌日にリリーフとして登板することも珍しくありませんでした。「エースは酷使してなんぼ」という文化が根付いていたのです。

しかしノムさんは、投手の肩や肘を「消耗品」として考えていたため、このやり方に早くから疑問を抱いていました。そこに大きな転機が訪れます。剛速球投手として名を馳せていた江夏豊氏が南海にトレードでやってきたのです。

当時の江夏氏は血行障害を抱えており、50球ほど投げると握力がなくなってしまう状態でした。先発完投にこだわる江夏氏でしたが、ノムさんは「革命を起こさないか?」と口説き、抑え専門のリリーフエースとして起用します。この試みは大成功を収め、江夏氏は「リリーフの神様」として再び輝きを取り戻しました。

この成功体験が、日本球界における本格的な投手分業制の先駆けとなりました。なお、ノムさん自身はかつて南海に在籍したドン・ブレイザー(元メジャーリーガー)を通じてメジャー流の分業制に触れており、その考え方を日本の実情に合わせて応用したとも語っています。

まとめ:ノムさんが体系化した「考える野球」

ここで紹介した6つの戦術は、いずれも「最初の発案者がノムさんである」とは言い切れないものも含まれています。メジャー流の考え方をヒントにしたものや、誰かのアイデアをアレンジしたものもあります。

しかしノムさんの真骨頂は、「有効な戦術を見つけ、理論化し、チームに落とし込んで結果を出す」というプロセスにあります。いわゆる「ID野球(Important Data Baseball)」——データと頭脳で勝つ野球——の哲学が、これらの戦術のひとつひとつに息づいています。

現代のプロ野球で当たり前のように行われている戦術の背景に、ノムさんの試行錯誤と情熱があったことを知ると、野球観戦がまた一段と面白くなるはずです。

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